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#5 この世でいちばん美しいもの

スポベジって変な名前ですけど、スポベジのベジは名前のもじりで、「スポ」はスポーツのことなんですね。わたしはスポーツ科学を毎日楽しく学んでいる大学生なんですけど、この「スポーツ」ってなんなんだ?ということをスポーツ科学部では1年生で必ず習います。

で、講義で「スポーツはね~こういう歴史があってね~」と一通り聞いた後に考えるのです。スポーツの一番大事なとこが、社会にあんまり伝わってない!って。


「スポーツとはなにか?」についてまずわたしが持っている知識で説明してみます。ほんとに自分のなかでの理解なので、細かいところ(語訳やスペルなど)の正確性は保証できません(*^^*)

Sportという言葉の由来は、ラテン語のDeporatare(デポラターレ)=「非日常、お祭り、仕事から離れた楽しみ」であるといわれています。また、フランス語のDisport(ディスポルト)=Dis「非」+Port「秩序」からもきているそうです。

つまり、スポーツはもともと「非日常的な楽しい遊び」というような意味を持った言葉です。だから当然、当初はトランプやチェスなどもスポーツと呼ばれていたわけです。「ゲーム」という言葉もあとで出来ましたが、これは「激しい身体運動を伴う勝敗のある試合」を意味し、現代のスポーツの一般的な認識に近いです。


ここからは事実じゃなくてわたしの考えになるんですけど、わたしはオリジナルな方の「スポーツ」の定義が大好きで、みんなにもっと伝わってほしいといつも思っています。いま、スポーツは「一定の激しさを伴う身体運動」だと理解されています(と思います)。体育の時間ではたまたま運動がちょっと上手だった子がヒーローになり、上手にできなかった子は運動が苦手だ、向いてない、体育の時間なんて嫌いだ!と思い込んでしまいます。これを変えたい。これを変えたいんです。


体育は「体を育てる」と書くけれど、それより「心を育てる」のほうが大事なんじゃないかなあ、って思います。体育では、スポーツを教材としていろいろな種類の動きを子供に実践させるけど、わたしがいっちばん子供たちにわかってほしいのは、「その場で運動をできるようになること」じゃなくて

「スポーツって楽しいんだ」

ということなんです。短い授業のなかですぐに動きをマスターする必要なんてないし、出来ないに決まってるから。

e-スポーツをスポーツとは認めない!って人もいます。それもいいと思います。でもわたしは、チェスもトランプもe-スポーツも、楽しいこと、楽しくてつい夢中になっちゃうこと全部をスポーツと呼んでいます。「スポーツ」という言葉を聞いただけで拒否反応を起こしちゃう人たちにも、発想を変えてほしいからというのがあります。


わたしが愛するスポーツは、楽しいからこそのスポーツでした。「何をもってスポーツとするか」と聞かれれば、「楽しいかどうか」だと答えます。それこそがスポーツの、この世でいちばん美しい価値だからです。


あなたが愛してるギターを弾くことも、絵を描くことも、旅行することも、どれも「非日常的で楽しいこと」、完全にスポーツじゃないか!って。


これはわたしの経験に基づくところがあります。全然楽しくないチームスポーツと、楽しくってのめりこんでしまうようなアドレナリンでまくって興奮が止まらないようなスポーツをどっちも経験したことがあるからです。私の中のスポーツ人生は、後者を体験したときからようやく始まったのです。


だから、逆に楽しくなければスポーツじゃないとさえ言っていいと思っています。それこそ体育の時間、「やらされてる」部活、体罰、暴力。他にも色々な原因でスポーツ現場が辛いだけのものになってしまっている人が日本中いっぱいいます。スポーツが完全に楽しくなくなって、ただ走って、跳んで、投げてるだけのことをスポーツって呼べますか?

お金のため、健康のため、運動する理由は色々ありますが、スポーツ科学ではこうした「運動をすることで二次的に得られる効果」を求めて実践することを外発的動機付けといいます。一方で、スポーツそのものが楽しいから、やりたいからやるただそれだけ、という人もいて、この「他に何がもらえるわけでもないけど、それを実施することで得られる喜び」を味わいたいがために実践することを内発的動機付けと呼びます。これがわたしの理想とするスポーツ世界です。みんな、それが楽しいから夢中でやる。それが何よりも素敵な、わたしたち人間だけの特権「スポーツ」のあり方だと思うんです。


わたしは中学校に入った時、本当のスポーツと出会いました。それまでやってたニセモノのスポーツはすっぱりやめました。来る日も来る日も部活のあとに公園に行って、壁に向かってボールを打っては違う、こうじゃないって繰り返し。何回壁の向こうの森でボールを失くしたかわかりません。上手になるためなら休日に走るのも嫌じゃなかったし(今となってはこの走り込みはあまり意味がなかったかもしれない・・と気づきましたが)、そのせいで部員とは温度差が生まれて悩んだりもしましたけど部活に行きたくないと思う日は一日もありませんでした。上手くならなくてクソって思うこともあったけど、次の日にはやっぱり楽しみにしてるんです。苦しいときのことも含めて愛せる。それだけ好きだったんですね。


あなたが例えば将棋するとき、趣味で小説を書くとき、絵を描くとき、ピアノを弾くとき、歌うとき、踊るとき、、、楽しい何かに「ハマる」ときって、心の底からやりたい!って気持ちがわいてきて、止められなくなりませんか?あーでもないこーでもないってトライ&エラーを繰り返しながら、自分の思い通りできるようになりたくって、できたときは嬉しくって、夢中になりませんか?同じです。わたしがテニスしてるときと!

やめたい野球してるより、やりたい将棋してるほうがよっぽどスポーツです。


わたしが考えるスポーツとは、一般的な考えとはズレてるだろうし「間違ってる!」と思う人もいるかもしれません。今日伝えたのはあくまでわたしが「こうじゃないか」と思っていることであって、必ずしも正しいものではありません。わたしもなるべく視野が狭くならないように、様々な人の意見を聞いて考えをアップデートしていくつもりです。わたしがいいたいのは、「スポーツの本質はどこあるのか」ということです。それは息が切れるような激しさとは限りません。

わたしが願うスポーツ世界は、一人ひとりがそれぞれの好きなことを目いっぱい楽しんでいる世界です。中には仕事や抱えている問題で手がいっぱいで、何かに打ち込む余裕なんてない人ももちろんいると思います。でもべつに打ち込まなくても、心のよりどころになってくれるのがスポーツ=楽しい遊びです。だからわたしの大好きなジョコビッチ選手やナダル選手、錦織選手は、世界最高の「テニスプレイヤー(テニスで遊ぶ人)なんです。


わたしはテニスと出会っていろんな景色を体験しました。ボールを真ん中でとらえたときの打球音や、全神経を相手にそして自分に向ける感覚、1本目のサーブを打つ前の緊張感、コートからの景色、ラケットのフォルム、勝ったときの気持ち、負けたときの気持ち、帰り道の冷えたジュース・・・その全てに魅せられてしまいました。誰にでも、そういうものがあるんじゃないかと思うのです。もし今はなくても、きっとこれから出会えます。

スポーツはもっと自由でいい。あなたが楽しめばスポーツです。


...以上、スポーツ学生スポベジのひとりごとでした(ひとりごとではない)!


普段は東大院受験目指しながら勉強漬け(楽しい)学生生活送ってます!わたしがなぜスポーツ科学を志したのか、今までやってきた「楽しいスポーツ」「楽しくないスポーツ」ここに書いてます!↓よかったら読んでください(^^)/



院試合格後の生活費になります!