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balenciaga アントワープTシャツ

みんな大好き大嫌いバレンシアガ。
私はそんなに嫌いじゃない。

モードブランドをろくに購入しなくなってしばらく経つが、バレンシアガの新作はなぜか気になって毎シーズンチェックしている。
かれこれTシャツは3枚目のリピートとなった。

観光地のお土産屋、政治集団のキャンペーンユニフォーム、マイナーバンドの物販、企業パビリオンの配布品…これまで碌な生地で作られるはずもなかったチープなプリントTシャツをラグジュアリーで回収するというここのコンセプトが個人的に気に入っている。

モードといえばアントワープ

チープなモチーフのプリントに見合わないほど、ボディの生地はちゃんとしている(値段に見合うわけではない)。分厚い素材のコットンTなど溢れかえっているが、ここの肌触りもしっとり重く下に落ちる感じも他所とは一線を画す(値段に見合うわけではない)。直営店でTシャツやパーカーがずらりと並ぶ様に異様な迫力が感じられるのは間違いなくこの生地のクオリティによるものだと思っている。脳筋メゾンここにありである。

サイズはおなじみのオーバーサイズ。もう終わりもう終わると囁かれ続けているオーバーサイズシルエットがしぶとく残り続けているのはここが作り続け、勢いを保ち続けているからであろう。

一度でも着用したことがある人間にはお馴染みであるが、バレンシアガのTシャツはとにかく首周りが小さい。デムナ就任初期はただ穴が小さいだけだったが、最近のものはモックネック調になりさらに首を締め付けるようになった。おっさんが首周りがゆるいTシャツを着ているのは大変厳しいのでネックが狭い仕様もここをリピートしている理由。

リブの伸縮性はほぼ無い

身幅の広さはもはや違和感を感じないほどオーバーサイズのサイズ感は定着しているが、それでも着丈の長さは強烈に思える。しかし、平置き画像を見ると特に着丈が長くは見えない。

つまりこのTシャツは「オーバーサイズ用」に調整したものではく、Tシャツの寸法をそのまま全方向に拡大しただけなのである。

バレンシアガはしばしば「過剰さ」の観点から語られがちだが、この過剰さはある意味着用者が付け入る隙をつくる類の虚構ではなく、ただあるがままの事実をそのまま突きつけるような冷たさがある。「着丈が長いから着こなしが難しい」のではなく「サイズが大きいTシャツを好き好んで選んだのだから着丈も長いのは当たり前」なのだ。じゃあ首が狭いのはなんなんでしょうね…デザイナーの好みでしょうね。

そういう意味でこのTシャツを着るにあたって、私は一種の開き直りを行っている。着丈が長いの当たり前、裏表が反対になってるの当たり前、ボロボロに穴が空いてるの当たり前、洗濯したらプリントがポロポロ剥がれてくるの当たり前(洗濯終わって干したところ、ボディの所々に白い粒があって思わずギャァと声が出た)。
そうやって完全に自己完結できると着ていて楽しくなってくる。妻は隣で歩きたがらなくなりますが

Tシャツがデカいならそれに合わせるボトムもデカくなる。デカいボトムの裾を拾うには全方向にデカい靴が要る。足がデカくなるなら顔もデカくしなきゃ(グラサン)。グラサンの邪魔にならないようにキャップのツバは狭くして切れ込みもいれとくね。首元寂しいね分厚いパーカー羽織っとこっか。

こうして出来上がったバレンシアガのスタイルはあまりにも完成されていて他のブランドや着用者の自意識を挟み込む余地はほぼ無い。そしてメゾンの脳筋的クオリティ素材で構成されているが故に、他のブランドではバレンシアガ以上のクオリティを同様のコンセプトで満たすことはまず出来ないため、それならここでいいじゃんとなる。

じゃあお前は10XL買うのかよ、と言われるとうーーーーーん

木剣であった。
これが現在の政宗であることを明確に示したのだ。 

原作:南條範夫・作画:山口貴由 『シグルイ』
 第七十六景 独眼竜 より



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