動機は不純だが想いはホンモノ!
困難な状況になったとき、真っ先に思うのが
あの人の力になれることはないだろうか。
私のほうが何か優れているわけでも、お金があるわけでも、元気なわけでもない。むしろお前は何ができる?と聞かれたら、何も答えられない。
それでも、忙しそうな時、忘れ物をしたという時、暑い時、寒い時、雨が急に降ってきたとき、地震があったとき、夜遅くまで働いていると知ったとき、お腹がすいたとつぶやいている時、何かに向かってひたむきに頑張っているのを感じたとき、何か力になれることはないだろうか。と考える。
だが、たいてい大したことは思いつかない。思いついて、これはイケる!と思っても数分後には赤面したくなるようなことばかり。気の利いた言葉も、欲している食事も、何かから守ることも、何もできない。
あの人の力になれることはないだろうか。
これではただの恋煩いだ。少し頭を冷やせねば。と思い、このエネルギーをちょっと周りに置き換えてみた。そんなとき見つけた記事がこちら。
とても動機が不純な気がしたが
私が大切にしている店がある。もう20年近く通っている。頻繁に行くわけではないが、たまに無性に食べたくなる。大切な仲間ができたら連れていきたくなる。大笑いしたい時、お腹いっぱい食べたい時、東京タワーを見たくなったとき、都会のキャリアウーマンを演じたくなったとき、そしてほっとしたい時。東京の真ん中なのに、どこか懐かしいお店。そのお店が今、自粛要請で客足が減り継続が厳しくなっているという。
あの人の力になれないかもしれないが、この店の力になれるかもしれない。
どこまでいっても、動機が不純だ。。
でも純粋に、お店はいつまでもあってほしい。これからもふらっと立ち寄れる場所であってほしい。この想いは本当。
最近は、たまにしかいらっしゃらなくなったがお店のママさんがいる。看板娘といっては失礼かもしれないが、いつも満面の笑顔で、ある程度高齢であるだろうにちょこまかちょこまか動き回って、接客をしている。時に相手が芸能人だろうが、エラそうな人であっても、周りのお客さんに迷惑がかかることは、その持ち前のキャラクターでズバッと言いこめる。その臆さない姿も30年店を切り盛りしてきた貫録をうかがえる。
そのママさんが必死に守ってきた場所だからこそ、温かい人間味ある空間があるのかもしれない。
そんなことを思いながら「#応戦させて」プロジェクトを発足させることにした。ただいま絶賛準備中。
きっかけは不純だが、想いは純粋です!
自分が何かできることで、お店の人が喜んでくれて、またお店に来たお客さんが楽しい時間を過ごせて、笑顔の連鎖をつなげていけるなら本望です。
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