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少しずつ、書いてみようかな。と。

さて、のらりくらりと思いついたときに、思いついたままnoteを書いてきたけど、そろそろ本来の目的を書こうかな。と思ってる。

誰に言い訳づいているか、自分でも笑っちゃうくらいだけど、過去のことを振り返るのが正直怖い気もしてる。忘れてる、忘れていたい感情を呼び起こしてしまう気がしているから。

なら書かなきゃいいじゃん。

っていうひとりツッコミをしてみたけど書こうとしているのはやっぱり生きた証というか、私という存在を自分自身が認めてあげられるようにという思いがあるのかな。

では始めます!!!(笑)

1978年春、誕生しました!

母方の実家の近く、今の都庁の当たり、淀橋浄水場近くにあった病院で生まれて、すぐに家があった千葉へ。

今でこそ駅も近代化になり、多くの路線が行きかう人の多い街だけど、当時は田んぼと畑ばかりで、ザリガニを取ったり、花の蜜を吸ったり、空き地でドッチボールをしたり、同じクラスの友達より、近所のお兄さんお姉さんたちや、年の離れた小さな子たちもみんな集まって遊んでいるような日々。とにかくにぎやかだった。

それがたぶん小学校一年生くらい。

それから記憶が・・・

記憶喪失な訳ではありません。だけど、思い出すのは喧嘩や喧嘩や喧嘩や・・背中に描かれた大きな絵、パトカーや、やっぱり喧嘩や、炎上する車、男に媚びる女に、年齢関係なく性別でしか判断できない男。
たまに包丁。そして私を抱きながら泣いている父の姿。

友達のことや学校行事も、ほぼ覚えてない。

思い出そうとして、、、今日はギブ。

時系列で書こうと思ったけど、ちょっと難しいみたい。
具合が悪くなってきた(笑)
やっぱり思いついたときに、ふと昔を振り返る作戦で行こうかな。

うる覚えの記憶の中にも、いいことはあった。それは忘れたくない。

これを書く理由

世の中には、いろんな経験をしている人がたくさんいる。

私の経験が決して珍しい事でも、不遇なわけでもなんでもない。同情を求めているわけでも、慰めてほしいわけでもない。

ただ、私はきっとほんの少し、ほかの人よりも人の弱さを知っていると思うから。
人は弱い生き物。きたない大人、きたない男。きたない女。そして自分も。

でも、人は強くなれることも知っている。
戦っている大人、誠実に向き合う男、軸をもった女。そして自分もそれに近づけるように頑張ってる。

だから、もし人の弱さを目の当たりにして、人嫌いになっている人がもしいるとしたら、私が何か書くことで『もうちょっと諦めるのは先延ばしにするか、、』なんて思ってもらえたらいいなって思ってる。

人は強くなれる。強くなれなくても、なろうとすることに意味がある。

なのにギブしてたら何の意味もないけどww
少しずつ何かの折に触れながら書いていければいいなって思っています。


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