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『ピンク・クラウド』と閉じ込められた映画たち

ブラジル発のとある映画が、日本公開前から話題となった。
サンダンス映画祭2021にもノミネートされた、イウリ・ジェルバーゼ監督のデビュー長編『ピンク・クラウド』である。
あらすじは以下の通り。

高層アパートの一室で一夜を共にした男女ヤーゴとジョヴァナを、けたたましい警報が襲う。強い毒性を持つピンク色の雲が街を覆い、その雲に触れるとわずか10秒で死に至るのだという。2人は窓を閉め切って部屋に引きこもり、そのままロックダウン生活を強いられることに。事態は一向に好転せず、この生活が終わらないことを誰もが悟り始める。月日が流れ、父親になることを望むヤーゴにジョヴァナは反対するが、やがて2人の間に男の子・リノが誕生。リノは家の中という狭い世界で成長し、ヤーゴは新しい生活になじんでいく。しかし、ジョヴァナの中で生じた歪みは次第に大きくなり……。
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突如として発生したピンク色の雲により、ロックダウン生活を余儀なくされた人々の生活を描く今作。
コロナウイルス流行後の世界を、ファンシーなビジュアルをメタファーとして表現した作品と言いたくなるが、今作の脚本が書かれたのは2017年、撮影されたのは2019年のことである。

まるでパンデミックの世界を予言したような作品となってしまい、今になって注目を集めている。
今、何も知らずにこの作品を観ると「あぁ、コロナのことか」と思われてしまうので(日本では2023年に公開されているので余計に)、この作品はまだコロナのコの字もなかったころに作られた作品であることをあらかじめ説明する文章が最初に表示される。

パンデミックと『ピンク・クラウド』のシンクロニシティは大きなインパクトを与えているが、とは言え「限られた場所に閉じ込められてしまった人を描く作品」「突然これまで当たり前だった日常が一変してしまった作品」はこれまでにも多々存在する。
ここではそんな作品たちにも多少触れながら、『ピンク・クラウド』の内容について触れていく。
最後の方にはラストのネタバレを記述する。


ヤーゴとジョヴァナは、出会ったばかりの2人。
ワンナイトのつもりで夜を過ごしていたが、突然、接触すると10秒で死に至るピンク色の雲が世界中に発生する。
コロナウイルスが流行し始めた際は、最初は隣国の話だったことが徐々に他人事ではなくなり、じわじわと日常が変わっていく様に不安を覚えた記憶があるが、今作の場合は生活が突如として一変してしまう。
警報が鳴り、とりあえず窓を閉めて共に部屋に引きこもることに。
恋人同士でもないのにひとつ屋根の下で共に過ごすことになってしまった2人だが、世界中見渡せばもっと悲惨な状況で今いる場所から出られなくなってしまった人がいるだろう。

てっきり「さまざまな場所、シチュエーションで閉じ込められた人たちそれぞれの数日間を描くオムニバス映画」みたいになるのかと思っていたが、今作は思いのほか長期間の出来事を描いていたので驚いた。
ヤーゴとジョヴァナは結局家族となり、ジョヴァナは2人の子供を出産する。
外出ができないので、当然お産もオンライン出産(?)という形で、Zoomのようなもので医師の指導を受けながら自力の自宅出産だ。
そして生まれた子供がどんどん成長し大きくなっていくので、少なくとも5年くらいは引きこもり生活が続いている。

ちなみに、今作の登場人物たちは本当にずっと屋内で暮らしているようで、数年経ったころに外出用のマスクや防護服、雲を除去するための装置が開発される様子もなければ、雲は気体だし屋内にいても結構まずいのでは?という疑問も特になく、普通に暮らしているけどインフラとか食料確保はどうなっているのかといったことについては説明がない。
人類の知恵を結集させればもっと何かしらの打開策は生まれそうなのだが、今作が描きたいことはきっとそういうことではないので、SFとして観るのではなく、一種の寓話として観るのが良いだろう。

外に出られず、ずっと同じ人と24時間365日暮らし続けることを強いられている登場人物たち。
家の中に部屋が複数あるので常に顔を合わせる必要はないとはいえ、登場人物たちの不満・ストレスは次第に肥大していく。
ここではない場所、ここにはいない誰かを激しく求め、やり場のない性欲を発散させようと試みる。
今作を観て、家とか家族というものはあくまで「帰る場所」であることを改めて感じた。
やはり人間基本的には外に出て社会と関わり、そして家に帰って家族と過ごしたり自分の時間を過ごして安心感を得るくらいが丁度良さそうである。


監督も触れているが、「外に出られなくなってしまった映画」として最も有名なのは、ルイス・ブニュエル監督作『皆殺しの天使』(1962)だろう。

ブニュエルはサルバドール・ダリやアンドレ・ブルトンと交流があり、彼らとともにシュールレアリズムの作品を作り続けた映画監督だが、今作はそれが極まっているとも言える。
楽しい食事会を終えたブルジョア階級の人々が、何故か屋敷から出られなくなってしまうことで物語が始まる。
何者かに鍵をかけられたとかではなく、普通にドアを開ければ帰れるはずなのだが、何故かみな理由をつけては部屋から出られない。
シュールな不条理劇の傑作である。

そんな『皆殺しの天使』は後世のさまざまな映画に影響を与えており、近年だとM・ナイト・シャマラン監督作『オールド』(2021)も挙げられる。

ある家族が人里離れた美しいビーチに遊びに来たところ、なぜか子供がさっきよりも少し大きくなっており、やがて親は自分の老化現象に気が付く。
ここでは30分で1歳、歳をとるのだ。
ビーチから出ようとすると何故か気を失ってしまい、外に出ることができない。
ザ・グレイトフル・デッド状態のビーチで、歳をとる=死に近付いていく人々の虚しさ、愚かさ、可笑しさが描かれている。
これは決してあり得ない御伽話ではなく、あっという間に感じる1日、1週間、1年など人間の実人生のことも表現しているのだろう。

2人きりで密室に閉じ込められるといえば、ロバート・エガース監督の『ライトハウス』(2019)も強烈な印象を残す作品だ。

これは、灯台しかない絶海の孤島に4週間燈台守を勤めるため2人の男がやってくるところから物語が始まる。仕事として来ているので自ら幽閉状態になってはいるのだが、ウィレム・デフォー演じるベテランの燈台守が「絶対にこの人と2人きりの生活は嫌だ」と思う一癖も二癖もある人物で、ロバート・パティンソン演じる若者は精神的に追いつめられていく。
全編白黒の35mmフィルムで撮影されており、他の映画ではめったに見られないほぼ正方形に近い画面サイズが、閉じ込められた状態の息がつまるような窮屈な空間を演出している。
今作は、1801年にウェールズの灯台にて2人の燈台守の間で起きたある事件(リンク先「Ⅰ. 『ライトハウス』の起源」より)、それを描いたとされる1928年のフランス映画『燈台守』がもとになっている。

2人きりで閉じ込められた、しかも宇宙で!という、もうにっちもさっちもいかない作品はモルテン・ティルドゥム監督作『パッセンジャー』(2016)だ。

宇宙移民を目的とし約5000人を乗せた超大型宇宙船の航行中、人工冬眠ポッドのトラブルによりジムとオーロラの2人だけが目覚めてしまう。目的地に着くまであと90年はかかり、再び冬眠状態になることはできない。つまり、2人はこの宇宙船の中で寿命が尽きるのを待つのみとなってしまった。
というこの作品、実は物語の重要な部分を上手いこと宣伝やあらすじでも隠しているため内容について話す際にはどんどん奥歯に物が挟まったような語りになってしまうので、早いうちに切り上げるのが吉。
少し踏み込むと、「閉じ込められるなら誰と一緒がいいか」ということを考える点では『ピンク・クラウド』とも通じるところがあるかもしれない。
観た人とその倫理観について語り合いたくなる、非常に興味深い作品だ。

閉じ込められてはいないが、突如発生したトラブルにより人々の生活が一変してしまったという日本発の作品では、近年だと矢口史靖監督の『サバイバルファミリー』(2017)がある。

日本で原因不明の電力供給消滅が発生し、自給自足生活を強いられるようになった人々。このまま東京にいては生活ができないと、母の実家である鹿児島まで長距離移動をすることになる一家を描いた災害パニック映画。
起こっていることは洒落にならないが、矢口監督ならではのコミカルなタッチで楽しく観ることができる。
途中出てくる、この危機を受け入れて逆に楽しもうじゃないかと主張する意識高い系?家族もリアルだ。彼らは何も間違ったことを言っているわけではないし見習うべき存在なのだが、あの絶妙な「何だかなぁ」感は矢口監督のブラックな部分が出ている。
『ピンク・クラウド』にも、ピンク雲を有難がり祈る人が出てくる描写がある。


書籍では、パンフレットで岸本佐知子さんも挙げているフリオ・コルタサルの短編『南部高速道路』、トマス・ピンチョンの短編『エントロピー』も少し思い出す。


ここから先は、『ピンク・クラウド』の結末まで記載する


長年のロックダウンに絶望し、追いつめられたジョヴァナ。
一瞬、ついに雲が元の色に戻った!?と希望を与えておいて、またピンク色になってしまう展開はかなり凶悪だ。
彼女はVRゴーグルを手に入れたことで空想の世界に逃避するが、それすらも息子に破壊されてしまい、悲惨な現実に引き戻される。

いよいよ限界に達したジョヴァナは、ついに意を決して扉を開け、ひとりベランダに出る。
雲が彼女に近づき、10秒数えたところで物語は幕を閉じる。

ジョヴァナの人生はこれで「終わった」かもしれないが、あの最後の行動は彼女が現実に抗った証にも見えるし、ようやく解放されたのだ。
バッドエンドと言える物語だが、こういう結末にできたことにもしかしたら意味があるのかもしれない。
実はもうピンク雲はとっくに消えていて、でもこの生活にとりつかれてしまったジョヴァナとヤーゴが息子をだましながら自分たちだけロックダウン生活を続けていたりしてとか(ラスト、カメラが引いたらもう普通に外で生活してる人たちが映るみたいな)、絶望した家族3人が自ら死を選び、外に出て倒れた数秒後にピンク雲があっさり消えるとか、ってそれは別の作品だろみたいな、ラストを予想しながら観ることも面白かった。

常に息苦しさが続き決して後味の良い作品ではないが、自分にとってのピンクの雲は一体何かも考えてしまう、今観ることでより面白くなる作品だ。

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