医療崩壊には3種類ある

 新型コロナウイルス感染症の拡大で、医療現場にもさまざまな影響が出ています。

 「医療崩壊」という言葉をはじめて見たとき、私はなんとなく「コロナ肺炎の患者さんを入院させるベッドや診療する医者が足りなくなる、ということかな」と思ってました。実際に報道番組で「医療崩壊」というワードとともに流されるのは、イタリアやスペインなどの病院で、ベッド不足で病室に入れないコロナの患者さんたちが廊下のソファや床に横たわっている映像だったからです。

 しかし、これは「第一次医療崩壊」だったのです。

 その後、日本でも次第にコロナ感染症の患者さんたちが増えてきて、私がかかわっている病院でも、「コロナ用に20床用意したけどすぐにいっぱいになった」という声が外来にいる私にも聞こえてきます。もし、これで外来に「臨床症状や胸部CT像からコロナ肺炎疑いが濃厚で、血中酸素飽和度も下がっていて、PCR検査の結果を待つまでもなく入院治療が必要」という人が来ても、この病院で入院治療を受けていただくことはできません。この時点で、コロナ医療に関しては崩壊。これが「第一次医療崩壊」です。

 そして、医療崩壊はそれにとどまらないことがすぐにわかりました。

 コロナ医療には、多くの人手と設備が必要になります。3、4人の医者で一チームを作り、担当できるベッドはわずか。コロナの患者さんは一見、症状が安定していても、突然、呼吸困難が始まって気管挿管が必要になるケースが多いので、常に誰かの目と手が必要なのです。その時点で、各病院の感染症科(あればの話)、呼吸器内科などのスタッフはほとんどそこに投入されることになります。

 気管挿管して人工呼吸器が使われるようになると、ICU(集中治療室)での加療となります。どの病院でもこの部門は麻酔科の管轄です。それでも足りなければEICU(救急救命集中治療室)が使われ、こちらは救急救命科が中心となっています。つまり、麻酔科医と救急救命科医もコロナ治療に専念せざるをえない状況となるのです。

 さらに、こういう状況で医療従事者がコロナに感染したり、あるいは外からの面会者をストップしていても、別の病気で入院中の患者さんが感染してしまったり、というケースもあります。そうなると、感染拡大を防ぐためにひとつの病棟がまるごと閉鎖されることにもなりかねない。それは外来でも同じです。

 また、緊急事態宣言で小学校や保育園も閉鎖となり、子育て中の看護師や医者の中には、どうしても子どもの預け先の都合がつけられず、出勤が不可能になる人も増えてきました。

 長々と説明してきましたが、要はコロナ感染症により、コロナ以外の診療が大幅縮小もしくは全面ストップとならざるをえないのです。

 実際に、多くの病院が「救急車受け入れはストップ」「緊急以外の手術は延期」「外来診療は紹介状ある人だけ」などといった措置を取り始めています。たとえば乳がんで2週間後に手術が決まっていた人のところに、病院から「しばらく手術はできなくなりました」と電話がかかってきたりするのです。また交通事故にあって救急車を呼んでも、受け入れてくれる病院がない。

 この「コロナ以外の医療も崩壊」というのが、「第二次医療崩壊」です。そして、幸いにしてまだコロナ肺炎の重症者が欧米並みの数ではない日本では、実はコロナ医療の崩壊よりも先に一般医療の崩壊が起きているという印象です。これは本当に恐ろしい。

 さらに、「第三次医療崩壊」も危惧されます。

 私が非常勤精神科医として診療を行う医療機関は、たまたまこの春、新しいビルに移転することになっていて、引っ越し作業のあと4月にリニューアルオープンしました。引っ越しがあらかたすんだ頃、準備中の新しい診療所に行った私は、看護師さんからいろいろ説明を聞いて驚きました。ビルに2つのフロアを借り、ひとつは内科、婦人科、精神科などの外来診療、もうひとつは健康診断や人間ドックを行うプランだったのですが、コロナ禍を受けて健診のフロアはまるごとオープンを延期したというのです。

 ほかの医療機関もほぼ同じです。健康診断、人間ドックのみならず、胃や大腸の内視鏡、婦人科の内診、喉頭ファイバーなど、少しでもウイルス感染のリスクがある検査は原則、中止というところもあります。レントゲンやCTなども「どうしても必要な場合のみ」としているところもあるそうです。

 日刊ゲンダイに「子どもが高熱を出して受診したのにインフルエンザ検査をしてくれなかった」という記事が出ていましたが(https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/270733)、さらに事態は深刻化しているのです。

 これはどういうことでしょうか。健康診断や人間ドックはたしかに「不要不急」かもしれません。しかし、この状態が長く続けば、適切な時期に適切な検査を受けられず、見つかるはずだった病気が放置されたままになる、ということです。もし、それががんなど命にかかわる病気だったらどうでしょう。一時期、「がん放置療法」なるものの是非が話題になったことがありましたが、検査も治療も受けられないまま、誰もが望むと望まざるとにかかわらず、「がん放置療法」を実践する時代がやって来るかもしれないのです。

 このことによる影響は、すぐには可視化されないでしょう。ただ、1年後、2年後に「病気が早期に発見されず、命の危険を迎える人」が増えないとも限りません。

 私は、これを第三次医療崩壊、「遅発性の医療崩壊」と名づけてみたいと考えます。

 もちろん、いまの日本は医療が進みすぎていて、誰もが検査を受けすぎとも言われています。もしかすると健康診断や人間ドックが施行できなくなっても、私たちの健康リスクにはつながらないのかもしれません。だとしたら、「やっぱり日本はやりすぎだったんだね」と笑って、これからは抑制すればよいのです。

 しかし、健康診断よりも一歩、進んですでに症状が出ている人が、「しばらく胃の内視鏡はできないので」と検査を延期され、自動的に治療開始も延期になる、というのはやはり問題だと思います。

 こういう話をすると、必ず「じゃ、どうすればよいのか。対案を出せ」という声が上がりますが、私にすぐに名案があるわけではありません。

 ただ、いま何が起きているかという事実をきちんと見つめ、楽観論に陥りすぎないようにしないと、次の手も打てない。そういう思いから書いてみました。

 数か月後、「なんだ、カヤマが言うような医療崩壊のきざしは一瞬のことで、実際には何も起きなかったじゃないか」と私がみなさんに嘲笑される日が来ることを、いまは願うばかりです。