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今更でも書く #片思い天使 第4話

片思いの天使たち 第4話
この話について、いろいろと思うところが観たときも、観た後もあります。ですが、まだぼやーっとした感想にはなっているので、もう少し台本などに込められた部分を読み取りたいと思います。

まず、この話について語るときに外せないのが推しとファンという 2つの存在です。この相対する 2つの存在のうち、推し側からの本音はなかなか聞かれません。それは、その人のブランドを守ることや、ファンが離れるかもしれないという恐怖。そして、命を落としたナナの言葉を借りれば「そんなことで傷ついてる自分なんて知られたくないじゃん」です。その言葉の裏には、おそらくみなさまの推しから語れることのない「本音」が詰まっているのだと思います。
私はファン側なので、あくまでも今作からの読み取りによる想像ですが、オフレコでいろいろな話を聞いている限りは近い感覚かもしれません。少なくとも、こいつはそう思った。という感想であって、誰の、どんな本音にマッチするかは分かりませんのでご承知おきください。

さて、所謂推し側の本音を推察して吐露していきますが、おそらく今回最も伝えたかったこととしては「みんなの推しは、本当はこう思っているんだ」という本来は臭い物に蓋理論でいくところの蓋をされる部分。これをガバッと開けていってファン側がどう感じるのだろうか。そこのメッセージ性が大きいと思います。
その本音の部分。表面では、言葉では「無理しないでね」とは言いつつも、本当は無理してほしい。忙しくてもリプライがほしい。なんとか時間を作って自分のところにきてほしい。これは潜在的に人が思っていることだと思います。理性をなくすなら「全通しなかったらファンですらない」という暴論すら出てくるでしょう。でも、それくらいファンには構ってほしいのです。もちろんこれは大袈裟な例です。でも、譲歩していくとしてどのラインが「我慢できる」ラインなのでしょうか。そのラインはまちまちです。今作でのナナはたとえファンが0にならずとも、だんだんと数が減り、リプライもコメントも減った。そのラインが我慢の限界を超えてしまったのだと思います。ナナのように命を落とすのは極端な例としても、やっぱりどこかで「辞める」ラインはあると思います。だから、本音ではどんなことでもリプはほしい。お金を使って会いにきてほしい。と皆思っているのです。この部分の本音は、脚本から読み取れると思います。

ナナが命を落とすことになったクリティカルなきっかけは、今作では直接語られていません。なので、四葉のように事実から組み立てて考えることはできませんが、脚本として「なぜこの言葉を書いたのか」の意図を汲み取りたいと思います。
八重島作品は、余計なものは削るという特徴があります。なので、星の数ほどある推しの本音の中から選んだメッセージが本当に伝えたいことと思います。おそらくこの3つ。

・写真載せないと閲覧減るんだよねえ
・生誕のゲストで呼んだらお客さんを呼んでくれる親友
・君の代わりなんていないなんていいように言って、お前の代わりはいくらでもいるって蹴落とすんだよ

この3つから、ナナ、いや、八重島ツカサの思う本音がこうであると私は読み取ります。
「一番応援しているよ」「一番大切だよ」と上辺だけの言葉になっている人が多い。ずっと応援しているよ。と言っていた人が何人もいなくなった。写真をあげないと閲覧が減る。Twitterであればいいねやリプが減る。もちろん写真を上げたら嬉しいんだろうけど、それで喜ぶ人達は何人1年後も応援してくれるだろうか。また別の若い子に乗り換えるんじゃないか。それを、30歳を前にしたナナの言葉に載せたのではないでしょうか。
また、今の演劇界でもおそらく蔓延している「チケットが売れる人が正義」問題。いくら演技が上手と褒めている。でも、その演技が上手い人が端役だったりする。お客さんを呼べと圧がかかる。なぜなら演技の善し悪しではなくチケットという目に見えてわかる数字こそが正義なのだから。チケットだけではない。リプが多い人、いいねが多い人、「行くよ」という返事が多い人から声がかかりやすい界隈。だから、ファンのリアクションが減ることは役者として致命的なのです。

以上の2つのメッセージが、八重島ツカサ氏が伝えたい現実だったのだと思います。そして、その本音を吐露したナナのブログを圭二と旭が読むシーンに「人によってどう受け取るか」のサインが隠れていたのではないかと思います。
まず、該当シーンは泣く指示はないそうです。全てあの3人の、その時の感情に任せているそうです。それは観客に向けても同じで、各々がどう感じたか。どこがトリガーとなって、心に刺さったかを見たかったのではないでしょうか。
そしてもう一点気づきがありました。圭二と旭が涙を落とすタイミングが、わざと揃えることもばらけさせることも正解ではない。なぜなら、演出としてナナに語らせてますが、かれらは各々が「文字」を読んでいるのです。読むスピードも異なるしトリガーも異なる。だから、圭二にも読み上げさせないことで「それぞれによって受け取り方が違う。十人十色の受け取り方をしてくれ」というメッセージがあったのではないでしょうか。

事実、私はどうか。正直、全てのツイートにいいねをしたりはしない。全通もしていない。応援の熱には起伏はある。もしかしたら、ツイートを遡られて自分以外の人の舞台を観てのり移ろうとしてるとすら思われてるかもしれないです。会う回数だって激減しました。もしかしたら、自分がナナのファンだったらトリガーになっていたのかもしれません。でも、私にも生活や人生があります。いつでもいいねやリプが出来るほどマメな人間ではありません。

だから、自分が良いと思ったものはなんとかして魅力を伝えること。そのために、語彙力や言語化を磨くためにnoteを始めました。しっかりと演劇を観ること、推しの演技を観れることができるファンになる。そうやって、かけるお金を減らしたことをなんとか正当化しようとしています。
新しく会った方々には「誘われたら行くからちゃんと誘って」「推しはいるから」と一言断っています。無条件に観に行くことはあまりないですし、ブロマイドを買う、全通するということも基本的には敢えてしていません。それでもちゃんと観たものに対して誠意を持ってリアクションをしています。
これが、今のところ私ができる精一杯の礼儀です。それだけ、自分の行動に落とし込むくらいのメッセージ性を感じましたし、VIP特典のメッセージからも受け取りました。なので、今作を最初に観た感想は「何とも言えない疲労感」でした。自分のわがままで落とすお金も会う回数も減らした自負がある自分にはかなりしんどい気持ちになりました。
そして、脚本の意図のように「皆はどう思ったのだろうか」は、おそらく私よりも今作に関わった方々の方が強く感じていると思います。これだけ、人を応援する難しさを言葉にした作品になんのリアクションも起こさないけど大丈夫?そう思ってるかもしれません。言葉に出してなくても、ナナは命を落としました。
今からでも遅くないです。むしろ公開から3週間経過して今更こんな長文感想書いている人もいるんです。ちょっと迷ったら行動してみてください。それだけでも、誰かの大切な人になれるはずだから。

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