よもぎとスギナの磯っぽさ

薄緑のスズメノテッポウが光りながら波打っていた田んぼに、水が張られてカエルの合唱が始まった。

冬も温めて飲み続けていた麦茶に飽きてきたので、代わりになるものを探していた。
今年野草に興味を持ちはじめたのもあり、野草茶はどうかと思い立つ。そこでよもぎとスギナを普段使いのお茶に取り入れようと試みた。5月に入り野草は成長期である。丈も葉も伸びて青々と茂っているから、必要分頂いてもまた生えてくれる気安さがありがたい。

お茶の味は、どちらかというとよもぎの風味と甘みが好みで美味しく、朝からはりきって煎じて浴びる様に飲んでいる。よもぎの天ぷらやよもぎ餅など、元から好きな味という理由で多少過大評価しがちかもしれない。スギナは粉にしたまま瓶の中で、積極的に減ることはなかった。

いくら好きなよもぎのお茶でも、出涸らしは作る度に出てくる。熱湯のおかげで柔らかく茶色く色褪せ、いかにもくたびれてやり切った感が漂っている。これをどうしようか。自分が摘んできたのだからできれば余すことなく頂きたいとは思う、妙に頑固なのだ。もちろんそのまま土に返せば、また菌たちが循環させてくれるのだから小さな頭で考えすぎることなんて全くないのだけれども。

少し齧って確かめる。えぐみはなくとも味がぼやけてかつてのよもぎとは言い難いし再利用は難しいのでは…そう思いながらもしばしお皿にとって、使い所が訪れるのを待つことにした。

ある昼時、なんとなしにソース焼きそばならぬソース焼き飯を作った。
硬めにご飯を炊き、生姜、野菜、肉を全て細かくして炒め、ソースを主に味をつける。ふと、クタクタよもぎの皿が目に入った。もしや今が出番なのでは。物は試しである。

急いでクタクタを細かくみじん切りにしてフライパンへ。ご飯も入れ全体にソース味を行き渡らせる。ソースがうまくやってくれると託す。

するとどうだろう。これはアレに似ている、昔学校給食に出てきた焼きそばだ。見た目はご飯と麺で違うのだが、刻んだ再利用よもぎの茶色と給食の伸びた麺にくっついて蒸され茶色くなった青のりとがそっくりだ。しかも、味までどこかしら微かに青のりを感じるというか、野のものなのに磯っぽいのだ。不思議である。多分、一緒に入れた生姜の風味も、より青のりっぽさを引き立てているのではと思う。

ソース、生姜、出涸らしよもぎ、そのバランスが良かったのかとても美味しく頂いた。クタクタだからこそ活きる場所があった。もし生よもぎだったらまた違う個性的な味になっていたかもしれない。
懐かしい給食の記憶の延長に新たなページが生まれた。

またある日、懲りもせず似た具材で同じように作ってみた。
今度は、なかなか減らないスギナを粉にした小瓶が目に留まり、これを仕上げに少し振りかけてみたくなった。
なんとスギナもソース味と組み合わせると、半分青のりっぽい香りがする。かなり気のせいかもしれない。しかし刻んだ再利用よもぎと相まって、火を通した青のりとトッピングとで青のりのダブル使いをしているようにも感じた。見た目も、味もである。芳しいソース焼き飯だ。

勘違いでも新発見は面白い。確かに野の栄養も結局川を伝いいつか海へかえるから磯っぽいのかもと勝手に拡大解釈して、小さなおもいつき実験に充実感を覚えるのだった。

野草は青くさそうとか使いにくそうなイメージがある。確かにそういう面もあるものはある。しかし、扱い方を色々変えてみれば、癖が活きたりクタクタが活きたりする可能性もまだまだあるみたいなのだ。試しても本当に無理なものもあるだろうが、野草も土に還すまえに試せると思える状態を愉しみたいと思う。

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