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「花束みたいな恋をした」を観た

麦と絹。趣味が抜群に合うふたりの出会いは、運命的理想的ときめき100%だった。フレンズ、押井守、クロノスタシス、ピクニック等々。実在するバンドや監督、文学作品、作者などの固有名詞がこれでもかと出てきて、私達観客と同じ世界線にこのふたりがいるんだ、と思わせてくれる。

ふたりの世界が、幸せが、ずっと続けば良いんだけどそうはいかないよね。大学を卒業して社会人になるんだから。

就職してまもなく麦が「学生気分」と吐き捨てたもの。社会人として生き始めた私はどこまで大切にできるだろうか。朝起きて出勤して昼食取って午後もタスクをこなして時間が過ぎるのを待って帰宅する。仕事を必死にこなす毎日の繰り返しに慣らされて、かつて好きだったイラストも現代文学も漫画もゲームも舞台もいつのまにかどうでもよくなってしまって。別に興味がないわけではない。完全にどうでも良くなったわけではない。でも、その「好き」に向ける気力体力リソースが残っていないのだ。日中で集中力は使い果たされて家に帰れば毎日屍。まるで今の私のようだった。ワンピースどこまで読んだか覚えてない。たしかビッグマムが出てきたサンジの結婚のあたりで止まってる。流行を追うために鬼滅は読んだし映画も観たけどそんなに刺さらなかった。これならワンピース再開すればよかった。社会人大変だよな。だれがこんな社会にした。

そういえば「花束みたいな恋をした」はひとりで観てきました。ひとりで観てよかった。自称サブカルを好んできた人生なので、個人的には共感できるところが多かったんだけど、たとえば誰かと観たとして同じ濃度で共感できたかは自信がない。そこには人生経験として繊細なラインがある。余韻がめちゃめちゃ残って刺さっちゃう人と、この映画の後ふつうにカラオケ行けちゃう人との壁は想像しただけで冷え冷えするので、ひとりで観るのをおすすめします。カップルで観るとしたら、これまでもこれからも自信があるペアなら大丈夫。ファイティン。


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