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Amazing grace

    元警察官の親父が退職金をギャンブルに注ぎ込んで全て溶かし、その鬱憤を暴力に変え、自分の息子に八つ当たり、顔面をいきなり素手で殴りかかり、理不尽な暴力に息子がブチ切れて首をつかみ、殴り、掴み、蹴り、吠え、また殴り、また吠え、たまたまそこに遊びに来ていただけの息子の友人の私は、流石にこれはどちらかの命の灯火が消えるだろうと、血だらけの親子喧嘩の仲裁に入る事にし、まぁまぁまぁまぁ、なんて割って入った瞬間双方から拳が飛んできて3人揃って血だらけになったが、割って入った事により若干の理性を取り戻したのか、血だらけの顔で急に真顔になり親子揃って土下座で詫びを頂いたのは、今日の様な気温の、いつかの春の夜であった。

    軽く手当てだけして息子だけを外に連れ出し、カウンターだけの小さな寿司屋で、嗚咽混じりで今までの家庭の事情やら何やらを聞いてやった。全てを吐き出した気持ち良さか何か知らないけれども、目の焦点を合わせず恍惚の表情で寿司を頬張る様を眺めていると腹が立ちもしたもんだが、しかしまぁ、彼にも思う所があるのだろう、と、独りごちて、それより彼を友人として選んだ私はこの先大丈夫なのだろうか、という霞のような疑問符を、ただひたすらに酒で流し込んでいた。

    その友人が何を思ったのか、それから何ヶ月もたたないうちに洗礼なるものを受け、クリスチャンになった。

    それからというもの、日曜は教会について来てくれ、子供達にカレーを作りたいんだ、お前料理得意だろ?    手伝ってくれ、俺はクリスチャンになった。愛なんだ、隣人に優しくする、今までの全ては許された。何て言い出したもんだから、あれ、こいつ、ちょっとオモロイなと思い、毎週日曜は教会、賛美歌を歌って、聖書の説教を聞き、たまのお昼にバザーを手伝ったり、みんなのご飯を作ったり、子供達の前でギター弾いたりなんかして暮らしていた。

    その教会にいる牧師さんに「神は死んだ、ってニーチェが書いてますよ。」って言ったら「怖いこと言わないでよ。」と、優しく、それでいてとても悲しい目をされた。色んな悩みや迷い決断なんかがあったんだろうな、なんて考えもしたけれど、そんなもん関係あるかい、こっちはクリスチャンでも何でも無いんじゃ、聞きたい事聞いたるわってな具合にキリスト教に対しての不満や疑問をどんどんぶつけた。その度に分からない事は分からない、知ってる事は優しく丁寧に教えてくれた牧師さんの事を、当時、ぬるま湯でのぼせているハゲ親父程度にしか思って無かったが、今、よくよく思い返してみても、あまり評価は変わらない。


    濁す奴嫌いなんすよねー、私。


    だがしかし、教会で聴くパイプオルガンや、みんなで歌う賛美歌は、とても心地良かった。キリスト教や友人どうこうじゃなくて、あの音を聴きに、あの音で歌を歌いに、通ってたんだろう。キリスト教に出会うよりずっと前に、私は音楽という宗教に入っていたんだ。


    私のベットの枕元にある本棚には、いつかの誕生日、その友人からプレゼントされた聖書が一冊置かれていて、中々寝付けない夜なんかにパラパラめくってみるんだけれど、未だに理解出来ずにいる。パンをちぎって1000人が満腹になったってどうゆう事ですか?   


    最近会っていないけど、彼はまだ愛の伝道師を続けているのだろうか。まぁ、そんな事はどうでもいいか。どんな人間であれ、その人を理解しようと努め、関係を継続させて行こうと思えた人間に出会えた事が、私にとって大切な事であると言う事だけは確かなんだ。


↓    そしてそっと動画を紹介していく。

ではまた。

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