映画みたいな夏の日だった

My Hair is Badの『サマー・イン・サマー』を聞いていると存在しない記憶があふれ出す。

夏が青春の代名詞であるかのように扱われることは多い。そのような曲を好んで聞くことも多い。しかし、そのどの曲を聞いてもこんな夏があったらなあ・・・という冴えないオタクの独り言でしかなかったのだ。

が、この曲に関してはこんな夏があったよな?という存在しない夏を植え込まれる曲だった。クラスメイトに高橋はいないのに俺の出席番号の三つ前に高橋がいた気さえする。私服の君に緊張した記憶なんかないのに、普段制服だったあの子とのギャップが眩しかったそんな10代が自分にもあったように思ってしまう。

そんなありもしない記憶の映像を見せるマイヘアの青春力に最近やられている。マイヘアは恋愛の側面が強い印象が世間的にはある気がする。確かにそうだと思う。マジでそう。彼らの歌うラブはいい。
それはそれとして、彼らの歌う青春力の高い音楽と歌詞には心がやられる。

例えば『音楽家になりたくて』
売れないバンドマンの根拠のない若さと無謀さが前面に出ている。
例えば『熱狂を終え』
時間は流れて大人になってしまうけれど胸に熱意は宿していたい。
例えば『歓声をさがして』
好きなものをちゃんと持っておくことの大切さを説く。

彼らの音楽はただ格好いい、楽しいだけじゃなくてそこに若さも宿っていてそれがいつまで経っても失われることがない。いつまでも17歳で部室でかき鳴らしたみたいな音楽がそこにある。

いわゆる青春と呼ばれる世代から少し年を取ってしまって、電車で制服姿を見ると少し羨ましくなるようになった自分にとってそんな喪失感を埋めてくれるのがマイヘアの音楽なのかもしれない。
『青春欠乏症』とでも名付けるこんな症状は、きっとどこかに落ちている青春を歌う彼らの音楽なしには治ることはないだろう。
きっとこれからも貪るように彼らの曲を聞いては、自分の青春を上書きしようと勤しむ。そんな未来が見えるようだ。


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