初めて授業をサボった日〜ナルメと梅田と映画館と〜

大学の授業をサボって、否、戦略的な回避行動を取って映画を見てきた。

前々から気になっていた作品だったので、よーし見にいくかあと腕を振り回しながら見に行った。朝一でやってるっぽいのでそこを狙っていくぞ!と思ったら、昼間のみの上映になっていた。
午後からは授業がある。学生の本分は学問である。学ぶことこそが最も優先される事象であり、それは何事にも、何人たりとも妨害されるべきではない。
しかしだ、こうした作品を見ることで己の中の見識を深めて他の作品研究に落とし込むことも可能なのではないだろうか。可能だ。可能である。不可能とは言わせない。
見た。授業サボった。よかった。欠席二つ分の価値は十分にあった。

どうやら24話ある話をうまいこと再編集しつつ新規パートもあるようで、原作ファンこそ十二分に楽しめる作品であることには間違い無いだろう。しかし、初見ながらとても楽しめた。
途中振り落とされそうになることはあれど、広げられていく風呂敷と物語、回収される謎。かと思えば大きな謎、世界の根幹に関わるであろう大きな何かの姿が見え隠れする。掴みどころがないけれど面白い。そんな前編だった。

きっとこれをリアルタイムで見ていたとしたら心の棘がより鋭利になっていたと思う。
『きっと何者にもなれないお前たちに告げる』という言葉が作中で飛び出るのだが、中学生の頃にこの言葉を聞いてしまっていたら「そうだよ」という諦念と「そんなことない!」という憤慨が入り混じったぐちゃっとした感情にさせられていたように思う。
この『何者にもなれない』という言葉はそのままこの前編の物語に置き換えることもできると考える。この時点では登場人物の誰もが何者でもなく、まだ色づき始めた初めの段階でしかないと感じた。
続く後編の物語で彼らが何かに成るのか。それとも結局何にもなれずに終わってしまうのか。
さあ、生存戦略、しましょうか?

あとほんで誰に伝わんねん今回のタイトル。

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