奥村光希/Orchard muku.
祖父母が守ってきた農園を継ぐ一大決心。量より質を目標に、市田柿の伝統製法を貫く女性ひとり農家
■プロフィール
長野県喬木村(たかぎむら)出身。幼少期は祖父母が営む広大な果樹園で遊びまわり、冬には市田柿の出荷作業の手伝いをしながら、農業の喜びを自然と感じて育つ。
夫と二人の娘と隣の市で暮らしていたが、幼子を抱えては働きにも出られず経済的には苦しかった。そんな中「それならここへおいで」と祖父母が言ってくれ、ありがたくその言葉を頼りに喬木村へと居を移す。
次女をおぶい、祖父母と一緒に畑へ出かけ農業のいろはを教わる。農作業は大変だったが、自然は癒しと喜びを与えてくれ、食を自らの手で作り出せることに心から感動し、「これなら生きていける、子ども達を守れる」と感じた。
やがて祖父が脳梗塞で倒れ亡くなると、父の方針で農園は閉園に向けて規模を縮小していった。農業を断念しドクターズクラークとして病院に就職。やりがいのある仕事だったが、建物の中で外の景色を見ることもなく温度は一定で風も吹かない、自然との隔たりが寂しく感じられた。
農業への未練と、祖父母が守ってきた畑を受け継ぎたいという思いは消えず、3年間悩んだ末に再び農業に挑戦することを決意する。「もうこんなにおいしい市田柿が食べられなくなっちゃうの?」農園を閉じることになったときの娘の寂しそうな言葉も背中を押した。自分も祖父母の作る市田柿が大好きで、干し柿が白く美しく仕上がっていく工程を見るのも好きだった。
猛反対をする父に、夢を記したマインドマップ・経営計画・リスクマネジメントなどを書き起こしたプレゼンテーションを携え説得に挑んだ。結果、無事承諾を得て、フルタイムで働きながら約2年をかけ準備し、30歳という節目の年、念願叶い農業の世界へ舞い戻る。
現在は、祖父母が守ってきた畑でひとり農家として農園「Orchard muku.(オーチャード ムク)」を営む。
■園主の市田柿愛
市田柿は長野県・南信州の500年続く特産品。2016年には地理的表示(GI)保護制度に登録されました。
柿は、皮をむいて吊るしてから白い粉を纏うまで、果実の状態を見ながら徹底した衛生管理・温湿度管理のもと自然乾燥させます。気候変動がもたらす市田柿への影響は深刻ですし、近年技術革新により早く干しあげるための火力乾燥機を取り入れて加工する農家も増えていますが、Orchard mukuでは祖父母から教わった昔ながらの伝統製法を守り貫いています。日中の陽の暖かさと寒風による“除湿”と、朝霧による“加湿”を繰り返し、じっくりゆっくりと干し上げて行きます。手間と時間は相当にかかりますが、これほどに市田柿をおいしく仕上げる製法はないと思っています。
柿の実は大きいほど手間が増え、加工が難しくなりますが、量より質で勝負したい私はできるだけ大粒になるように管理をしています。例えば摘果では、1本の枝に残す実の数を一般の半分に。大きくもっちりとした食感の市田柿に仕上げられるよう、加工の際も手間暇を惜しみません。今年はこうして6万個の市田柿を作っています。
市田柿の出荷先は、約9割がJAで残りの1割が個人・企業への直接契約販売です。直接販売では自社オリジナルデザインのパッケージでお届けするなどし、ブランド化と差別化をはかっています。またmukuでは、約3000軒ある市田柿農家の中で唯一「柿のれんオーナー制度」を実施しています。オーナー様はリピート率が高く、有難いことに毎シーズン満員御礼となっています。
地域では市田柿が学校給食にも出されます。食べる機会が多いなか、我が子が「うちのが一番おいしい!」と言ってくれるのがとても嬉しいです。
市田柿と同様に、干し芋もこだわりを持って作っています。栽培期間中は化学肥料・農薬不使用、加工の際は、一般的に蒸すまたはゆでてから干しますが、私は一番甘味を引き出せる焼き芋製法で火入れをした後、天日で熟成干しさせます。口当たりが良い柔らかさで皆様にお届けできるよう、干し過ぎに注意しています。
■これから就農したい方へアドバイス
就農3年目の私の経験からアドバイスできるのは、「就農する前にたくさん下調べをしておいた方が良い」ということと、「どんな農家になりたいか想像しておく」という事です。
私は働きながら就農準備をしていた時に、他の農家さん方へ勉強に行かせていただきました。同じ果物でも農家さんによってやり方が違い、より効率的な方法など、多くの新しい発見と学びがありました。農家さんによって、何に重きを置いているのかも違います。たくさんの農家さんと繋がりを持ち、自分のやりたいことや熱意などを話しておくことも良いと思います。ひとり農家はとにかくやる事が多く常に手一杯で、繁忙期こそ他の農家さんがどのような方法でやっているのか気になりますが、なかなか見に行く時間は取れないものです。
また、”農家はオールマイティーでなければならない”と、就農してから感じました。作物の栽培だけしていれば良いという訳ではありません。自分の作物を売り出すためにマーケティングやブランディングもすれば、経理や確定申告もあります。
私は農家であり、主婦であり、妻であり、2児の母でもあります。女性としていろいろな役目を持ちながらひとりで農業をしてみて感じたことや学んだことなどから、農家になりたい女性にできるアドバイスも多いのでは、と思います。
就農を決意するまでは3年間悩みました。一番の不安は収入です。実際に就農したのは子どもが11歳と9歳のとき。これからいろいろとお金がかかっていく子どもたちの将来を農家として支えられるのか?安定した収入がなくなると思うと本当に不安でたまりませんでした。
フルタイムで働きながら就農準備に2年かけました。一番不安だった収入面では、先ず具体的なマネープランを5年先、10年先まで立てました。農家の補助金制度も活用するため「認定新規就農者」の認定も取得。初めは市田柿をつくりたくて農家になりましたが、認定に際してリスク分散をするようにアドバイスを受け、ズッキーニなどの夏野菜、サツマイモ、花き(クレマチスシード、フロックス)の栽培も営農計画に組み込みました。
花き栽培は市田柿が落ち着いたら始める方針でしたが、花きの師匠と出会い「花はとても時間がかかるのでやりたいならすぐに始めたほうがいい」とアドバイスをいただき、師匠ご指導のもと1年目から栽培をスタートさせました。
クレマチスシードは「花」の状態ではなく、花びらが散った後の「種」の状態で出荷しています。大変珍しく市場でも引っ張りだこで、海外のフローリストにも喜ばれている品目です。クレマチスはツル植物ですが、アレンジメントなどに使用しやすいよう、小まめに誘引しまっすぐ仕立てています。
■今後の展望
ひとり農家は、仕事をやりすぎてしまうことが課題です。決められた就業時間がないため精根尽きるまで働いてしまうこともしばしば。来シーズンはライフワークバランスを考え直し、プライベートもしっかり充実させられる4年目にしたいです。
3年目の繁忙期の今、はじめて「おてつたび」の受け入れをします。地域おこし協力隊の方に教えてもらったことがきっかけです。どんな方々と出会えるのかとても楽しみです。
圃場は、もともと53aある畑を、1年目に30a、2年目に15a増やして現在約100a。ここからは規模はあまり大きくせず、目が届く範囲で “量よりも質”を意識し取り組んで参ります。
ゆくゆくは、市田柿を100%契約販売で売り切ることが目標です。その為にさらに深くしっかりとブランディングし、販路の開拓・拡大をしていきたいと思っています。
また、「海外輸出」という大きな夢もあります。海外で市田柿ブームを起こし、ハリウッド俳優たちに食べてもらえたら素敵ですよね。その作り手をたどったとき、女性のひとり農家が伝統製法でつくっていたらそれも魅力に思っていただけるのではないかなと。しかしその前に、先ずは日本で、市田柿を誰もが知るブランドにしたいと思います。その為に自身がトップセールスとなり、製品とともに”ストーリー”と”想い”を発信し続けます。
これからもこの南信州で、祖父母が私へ繋いでくれた大切な畑を守り、家族やお客様、そして豊かな自然への感謝を忘れずに、”私は農家で在る”という誇りと幸せを感じながら生きてゆきたいです。
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