”嫌いじゃない”≠”好き”と気付いた話
私は、できればみんなに好かれたいし、愛されたいし、認められていたい人。今日は、結果としてその行動は熱烈なファンは生みにくくて、知り合いを作ってるだけだったなって気づいた話。嫌われない、は好かれるではない。
嫌われないための行動をよくしてきたなぁと思う。恋愛において特に顕著で、「こうやって言ったら重いと思われそう」とか「ここは深入りしないであげよう」とか。
それで友達の彼女の愚痴とかを聞きながら、「うわ~こうはなりたくないや~」とか「うわおっも…」とかって思ったりしたけれど、我儘だったり大胆な行動をしている子でも彼氏に愛されてるじゃんって気づいてしまった。たとえ愚痴を言われてたとしても、きっとそれ以上にいい点があって別れず一緒にいるんだと思う。
愚痴に共感したりそうはなりたくないって思っても、正直、大胆にふるまえる子が羨ましい。私にはなかなかできないから。あと、自分が都合がいい人であることに悲しくもちょっと安心しちゃう。あ、この人の中に私良い感じのポジションで存在してるんだ、みたいな。
嫌われないように、って一歩自分の心に蓋をして相手が望むような態度をすることは結構円滑な人間関係に有効だ。しかも争いがないから私も楽。でもその嫌われないための態度って嫌われはしないけど大好きになってもらえる態度なわけじゃないんだな。
こういっててもなんだかんだ大切にしてくれる人がいて、自分改革を早急に迫られているわけじゃないから多くの人に好かれたい自分を変えていくのはちょっと難しい。しかも、嫌われない態度をとることは私にとって偽りの自分なわけではない。
ただ、少しでも本当の私のことめちゃめちゃ好きでいてくれる人を大切にする人生もいいな。都合良いことで安心する精神状態は健康ではなさそうだから卒業したいし。
この人なら信頼できるっていう人に、もう少し大胆に振る舞う練習から始めてみようと思う。
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