20240319_回想と余生

感傷に浸るっていうのは受動的な行為で、
内側から次々に湧き上がるままずぶ濡れになることだと思ってる。
フィクションの人物の生涯が終わろうとする時の、しみったれた感情の吐露とサックスの音色が、こうも胸の内を掻き乱しては息が詰まる。

共感という能力がヒトをここまで苦しめ、そして救ってくれるのは皮肉なものだな。私はそういう捻くれたのが好きだぞ。

なあ、どうして人間は死ぬ前に「ああしておけば良かった」とか、「あんなこと言わなければ良かった」とか後悔するのかな。今までそれをせずとも生きてこれたのだから、これから死のうという時に気にすることなんてないのに。何でなんだろうな。

私もいつかそういう風になるのかな。私が思うことはどんなことかな。
好きだった人のこと?呪いたいほど嫌いな奴のこと?やっぱり家族のことだろうか。

ま、とにかく死に際に自分の生き様を振り返って、恥ずかしくて惨めな気分になる人生にはしたくないものだわな。

あ、

もうなってるかもしれないから今後はそれを払拭するための余生としようか。
余生と言うのも気が早すぎるが、多分私は短命だからちょうど良いと思う。
生きる理由が見つかったな!よし!

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