『男子校という選択』

はじめに

ある日のこと、授業と授業の合間に本屋へ行ってうろうろしていたところ、たまたま見つけたのが『男子校という選択』(おおたとしまさ, 2011)でした。

実は私が現在勤務している学校は男子校なのですが、勤務当初は一種のカルチャーショックを受けました笑

ある意味絵に描いたような男社会がそこにはあったのですが、共学しか経験したことのない私にとっては新鮮なものであり、同時に少しネガティブな印象を持つこともありました。

「なぜ男子だけでなければならないのか?」
「男女共同参画社会が叫ばれる時流に逆行しているのではないか?」
「男子校の社会的な意義とは何なんのか?」

疑問はいくつかありましたが、あまり深掘りせずに「そういうものか」と思考放棄したまま半年ほど勤務に努めていました。

しかしこの本はそんな疑問にしっかりと答えをくれ、むしろポジティブな考えを持てるようになりました。
今回はそんな男子校のメリットや意義について本書を参考に書いていきたいと思います。

今どき男子の抱える問題背景

今どき男子の苦悩
「草食系男子」や「肉食系女子」という言葉を聞いたことがあると思います。
積極的に異性に絡もうとする「肉食系」に対して、異性との関係に消極的な姿勢を「草食系」と表現する言葉です。

それを裏付けるアンケートに以下のようなものがあります。

・仲間はずれにならないように、話が合うように、友だち関係に気を使う男子が特に小・中学生で増加している。
・女子よりも男子が群れる傾向にある
・小中学生で女子に比べて疲れやすい男子や、外見を気にする男子が増加している
・男子は女子よりも、大きな会社で収入が多く、休みが多いことが大切だと考える
・男女ともに半数余りが、結婚したら家事や育児は男女平等に行うと考えている
おおたとしまさ(2011). 『男子校という選択』(日経プレミアシリーズ)

これは2009年にベネッセ教育開発センターが行ったアンケートをもとに目白大学教授の黒沢幸子氏が説明を加えたものの抜粋です。
またこの結果を受けて黒沢氏は以下のように分析しています。

「これらの結果から、男女平等意識が進んで女子の生き方の選択肢や社会進出が広がる一方で、男子は勉強して稼いで一家を支えるべきという意識が根強くあることも垣間見え、男子の生きづらさがうかがわれる。このような中で男子はお互いを傷つけ合わないように空気を読みながら群れて、内向きな安定志向で、安心を分かち合っているのかもしれない。(後略)」
おおたとしまさ(2011). 『男子校という選択』(日経プレミアシリーズ)

つまりこれまでの性別ごとの役割がなくなり生き方が多様化していく一方で、旧来の「男らしさ」が根底に残っているため「求められる生き方」と「求める生き方」のダブルバインドに生きづらさを感じているのでははいかということです。

最初のアンケート結果を見て「情けない」や「だらしない」と感じられた方はいるでしょう。
しかしその考え方自体が彼らに旧来の「男らしさ」を求める要因になっているのです。その「男らしさ」は今の社会、そしてこれからの社会にも求められていないのです。

彼らは大人から押し付けられる男性像を抱えながらも、新しいジェンダー観も受け入れているため、社会の中の男性の役割について非常に窮屈に感じているのだと思います。

ですから群れをなして「男社会」からハブられないように生きることは彼らにとって一種の防衛本能だと思います。
その男社会からハブられた挙句に大人から「そんなことでクヨクヨするなんて男らしくない」なんて言われた日には、彼らの居場所はどこにあるのでしょう。

「男の子はなぜ女の子より劣るのか?」

強烈な見出しですが、これは2006年2月15日付の『ニューズウィーク 日本版』のタイトルだったそうです。(英語原文は『The trouble with boys(男の子たちの問題)』)

履き違えないでいただきたいのは「男性はなぜは女性より劣るのか?」ではないということです。男の子と女の子、つまり発達段階の子供における性差についての記事です。

この記事の紹介として以下のように述べられています。

同誌は、「脳科学で全てがわかるわけではない」としながらも、「中学校においては、男性の性的な熟成は女性に比べて約二年遅れている」「脳の暑さは女性が一一歳で最大になるのに比べ、男性は十八ヶ月遅れる」(中略)など、男女の発達上の違いを科学的に指摘している。
おおたとしまさ(2011). 『男子校という選択』(日経プレミアシリーズ)

そしてこの解決策の1つとして主要教科で男女別学を導入したところ「恥ずかしがり屋な男子が授業に前向きに参加するようになった」「数学、英語、科学の成績で女子クラスがトップになり、続いて男子クラスが共学クラスより上になった」という結果が続けられています。

つまり「実社会同様に男女が同じ環境で学ぶことが自然である」という考えが見直されつつあるのです。

「男子校という選択」

男子校って勉強ばかりのガリ勉ばっかり?
男子校というと思春期に女子との関わりを断つことで、勉強に集中して良い大学を目指すというイメージを持つ人もおられるのではないのでしょうか?

確かに進学校を標榜し、実績を押し出している学校もあると思います。
しかし本質はそこにはないと思っています。

男子校の良さは思春期だからこそ異性の目を気にせず本来の自分を表現し、お互いに認め合うことによってアイデンティティを確立できることにあると思います。

本書では東大合格トップ10校のうち8校が男子校であることの分析をしつつ、「ただのガリ勉」では東大に入れないことに触れています。
「ただのガリ勉」というのは受験に必要な勉強に強いだけという意味で使われていおり、「自分の頭で考えない」生徒のことを指しています。

しかし男子校の生徒が勉強ができる理由として「どんな人生を歩みたいのか」「何のために大学に行くのか」「なぜ勉強するのか」という目的意識を自分で見つけ、それに対して対策を講じる「自分で考えて生きる」生徒を育てられることであるとしています。

男子だけの環境であるからこそ男子なりのカッコよさが求められるのです。
本書ではその1つに「ガリ勉は疎まれ、遊んでばかりはカッコ悪い」ということが挙げられています。

みんなができていること(勉強)に必死になっていることがダサければ、一方でみんなができていることすらできていない(遊んでばかり)という姿勢もカッコ悪いという文化が生まれるのです。

ヤンチャな方がカッコいいというのは女子を意識した時に生まれるカッコよさです。しかし男子だけではそのカッコよさは意味をなさず、遊ぶときは遊びやるときはやるという姿勢の方がカッコよく映ります。

そんなスマートな生き方にカッコよさを見出せるからこそ、勉強も疎かにしないという姿勢が自然に身につくのだと思います。

自分の好きを思う存分

女子の目がないということは、異性の目を気にせず好きなことに没頭することができるということです。
特に思春期になると異性にウケなさそうな趣味や興味を隠そうとしてしまいます。

鉄道やミリタリー、アニメ、ゲーム、アイドルなんかがそうでしょう。
女子から「キモい」と思われるのを恐れ、表には出さず隠れて楽しむことになります。
また、それが否定されてしまった時には「自分は他人とは違うダメな趣味を持っているんだ」という自己否定に繋がってしまう恐れすらあります。

ですが男子だけの環境ではそれもありません。
実際私の教え子の中にも戦車が好きな子やアニメが好きな子、カメラや鉄道など多種多様です。そしてそれらが排斥される様子もありません。
自分自身に興味がなくとも男同士「カッコよさ」やそれが好きな理由が何となくわかるのです。

そのように自己表現ができる環境で自分の好きなことに没頭できるというのは思春期の自己形成の上でとても大切なことだと思います。

また男女別学のメリットとして「男っぽさ」「女っぽさ」からの解放もあります。

例として「男子は、共学校では歌おうともしないが、男子校では合唱は好まれる。また驚愕ではフランス語の発音を笑い物にしたりするが、男子校ではフランス語を流暢に話すことを楽しむ。共学校の演劇では恥ずかしがってふざけてばかりだが、男子校では優れた演技をする」という男女共学と別学両方で教えたことのある教員の話が引用されている。

この例は共感できる方も多いのではないのでしょうか?笑
一般に音楽や芸術などは「女性っぽい」と感じる方もいると思います。
私もその感覚は理解します。どちらも大好きですけどね。笑

この例は共感できる方も多いのではないのでしょうか?笑
一般に音楽や芸術などは「女性っぽい」と感じる方もいると思います。
私もその感覚は理解します。どちらも大好きですけどね。笑

そして共学では男女の性差を意識し始めるが故に、男子はこの「女性っぽい」科目や行事に取り組むことに抵抗を覚えるため、真面目に取り込もうとしません。

しかし別学であればその限りではありません。
性別の話ではなく単純に好き嫌いの話になるからです。
現在私の学校でも合唱祭を控えており、音楽室からは男声だけのとても綺麗な歌声が聞こえてくることに驚かせます。

また私の授業でも男子だけにも関わらず英語の発音練習などに抵抗なく発声してくれることに驚かされました。
最初は男子だけであるためほとんど声なんて出してくれないと思っていたため、素直にうれしかったです。笑

これは女子にも言えることで、一般に「男性っぽい」と思われがちな理数系科目にも抵抗なく取り組む姿勢が述べられていました。

「男性っぽい」「女性っぽい」というイメージは私たちが勝手に作り出しているものですが、しかし思春期の子どもたちにとっては意識せざるを得ないことです。
そのような壁を作ってしまうのであるなら、男女別学であることのメリットは十分にあると思います。

男子校出身者は彼女ができない!?

余談ですが本書では男子校出身者の彼女できない問題にもしっかり触れていました笑
以下の表は本書の表をもとに私が作成したものです。
これは大学1〜2年生のうちに恋人がいるかどうかを校種別にアンケートしたものの結界になっています。

男女の恋人率

男子校出身者の絶望的な数値が光りますね笑
というか女子校出身の女子がすごいというべきかもしれません。

異性とのコミュニケーションが苦手であっても女子の方は男子からくるが、その逆はないということなのでしょうか。
しかし大学三年生ぐらいになると徐々に男子校出身の男子あっても好青年に成長していくともありましたので、男社会で思春期を育ったハンデを取り戻すのに2年ほどかかるということが示唆されます。

「このハンデを致命的なものとするか、リカバリー可能なものとするかで男子校への進学は変わってくる」と述べられています。
しかし2010年秋に内閣府が行なった『結婚・家族形成に関する調査』によると、共学・男女別学に結婚率や恋人がいる率は関係なかったと結果が出たそうなので、最終的には問題ないと見るべきでしょう。

男女別学の勉強面のメリット

また男女別学であることは生活環境だけでなく勉強面でもメリットがあります。
これは我々教員側のメリットでもあるのですが、男の子と女の子では理解のプロセスや問題解決へのプロセスが異なるため、本来教授方法も異なるとありました。

女子は「手順をゆっくり確認していきながら、段階的に理解する傾向にあり、躓いたところがあれば一度立ち止まってあげる」方が理解へ繋がります。

一方男子は「挑戦的に問題を投げかけたり、答えを教えた上でそのプロセスを考えさせたりする」する方が有効だそうです。

 「男子と女子ではロジックのとらえ方が違うようです。『女子は理数系が苦手』と言われることがありますが、そんなことはないでしょう。理数系科目の教え方が女子用になっていないだけです」と桐光学園の平良一教諭の言葉が引用されています。

また、「女子は励まして自信を持たせてあげる。男子は現実を見せて自分が思っているほどに自分が賢くないことを自覚させ、もっと上手にできるようけしかけることだ」とNASSPE(全米別学公共教育協会)で小児科医のレナード・サックス氏の意見も引用されている。

私はこの観点を意識したことがなかったので目から鱗でした。
個別での教え方についてはかなり意識してきたつもりですが、一斉授業での男女の違いは全く意識していませんでした。

なかなか話を集中して聞いてもらえないのは丁寧にやりすぎていたというのもあるかもしれません。
授業のスタイルや構成も男子用にアップデートしていかなければなりませんね。

おわりに 男子校で伸び伸びと

ここまで男女別学のメリットを述べてきましたが、共学を否定しているわけではありません。
私もこれまで同性だけの社会を経験してきたことがなかったので驚かされることばかりです。

私も勤務する前はそうであったように、実態が分からずそもそも進学の眼中にもないという人も多いかと思います。
ですが勝手なイメージだけで敬遠するにはもったいないだけのメリットが子どもたちにはあると思います。
もちろんその環境を作り出すのは我々教員や保護者の方々の手腕にかかってるんですけどね。

周りの子が共学だから共学へ、あるいは異性がいない環境は可愛そうだからと勝手な思い込みで進路を選ぶのはある意味危険かもしれません。

特に小中学生の時点で異性とのコミュニケーションがあまり得意ではないなと思う節があるのであれば、一考してみるのも良いかと思います。
思春期の時間を同性だけで伸び伸びと好きなことに没頭するというのもとても大切な過ごし方なのかなと思い直しました。

私は異性の前でカッコ付けたがりなので頑張れたということもあるので、もう一度高校生をやり直すとしても少し考えてしまいますが笑
自分がこうだから子どももきっとこう思っているだろうというのはとても危険ですね。

この本が、あるいはこの記事が教育や進路の一助になれば幸いです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?