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ダービー

雨予報がはずれた明るい日曜日の朝に登録のない番号から着信があった。
ねぼけまなこ且つ寝起きの声で恐る恐る出た。
「…あー、水道屋ですけど」

独立洗面台の洗面器にひびが入っているのに気づいたのは去年の秋のこと。
すぐに不動産屋に連絡を入れたけれど、これまた一癖ある大家の謎の手配が事をどんどん遅らせ、水道屋さんが点検に来たのはつい最近だった。
立ち会わなければならないので、点検の前に水道屋さんと電話で一度話をしたが、仕事中とその日の気分が最強に悪いことが重なり歯切れの悪い水道屋さんに少しピリっとした言い方をしてしまっていた。

「大家さんと話したんだけど、もう全部とっかえなきゃなんねえからさ〜」
一度点検に来ているので、顔を合わせたことがあるが、推定62歳。口調を文字で見ると粋が良い感じに見えるが、実際はそうではなく、どちらかというと気弱な感じの人だった。優しい顔をしていて、若い頃は甘いマスクだったのではないだろうか。モテたのかもしれない。知らないけど。

「日曜日しかダメなんだよね?この前、平日に電話かけたって言ったら、大家さんに怒られちゃってさ…」

いや、電話は平日でもいい。家での立ち会いは日曜日が確実だと言ったのだ。二人まとめて解釈が間違っている。

「で、工事しなきゃなんねえから、いつがいい?」

5月31日の日曜日が空いていたので希望を出すと、彼は電話越しでものすごく小さい声でつぶやいた。

「…その日はダービーがある…」

洩れている。完全に。心の声が。わたしは、全く競馬をやらないのでそんなことは知らなかったし、そんなに楽しみにしているのなら先に5月31日はダメだと言って欲しい。電話越しで、いやーなんでもない的なことをむにゃむにゃ言っているけれど、こちらは、もう本音を聞いてしまったのだ。それならば、6月7日でもいいと言うと「…やーそれはまずい」と来たもんだ。いや、それならいつがいいのだ、君は。
途方に暮れていると向こうが5月31日で大丈夫とゴリ推ししてきた。

日本ダービー2015の記事を見ると少し胸が痛む。しかし、夜型のわたしに朝9時からは少しきつい…と思い朝10時にしてもらった。年一の楽しみを奪ったのかもしれないわたしの罪悪感は早起きには勝てなかった。
日曜日は競馬中継のラジオでも流しましょうか。

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