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「ここでは『呪い』を研究しています」3話

さて。
湯川を「呪い」から守るとして――何からするべきか。

葛葉は無意味にシャツの袖をまくりあげると、ふむ、と一息ついて腕を組んだ。

家族たちのように「呪い」を日常的に行使しているわけではないので、湯川を呪ってきている者たちを「呪い返す」ようなことはできないが、幼少期からさまざまな呪いと接してきたことがあり――呪いの知識と何となくの気配は感じることができる。

「そうだなあ、まずはこのへんだよな~」
葛葉は教授室の前に備え付けられた、湯川宛の郵便物BOXをこっそりと女子トイレの個室に持ち込むと、嫌な気配のする郵便とそうでないものを分けた。半分くらいから、嫌な感じがしている。
おそらく、呪いの札などが入っているのだろう。ためしに軽い封筒の一つを開けてみると、タイのお守りである「クマントーン」が入っていた。基本的には願いを叶えてくれるなどのお守りだが、所有者の願いや使い方によっては、マイナスのエネルギーを振りまくこともあるとされる。
「おわ~」
葛葉は一人、なんとも情けない声をあげながら、クマントーンを封筒へと戻した。
湯川が記者会見を正式に発表したのは、昨日の午後だ。それから一日たらずで、呪物がそこそこ届いている。日本の輸送経路も尊敬に値するが、呪術師たちの行動力の速さが凄まじい。それだけ焦っているということだろうか。
「……とりあえず、このへんは隠しておいて、と……」
何かしら「まずい」ものが入っていそうな郵便物をトイレの清掃用具が入ったロッカーの奥の方へ隠して、残りの本当に重要な書類を持って行く。

しかし、すでにこれだけの「呪い」が届いているにも関わらず、湯川は特に怪我をしていないのだから、向こうもそうとう慌てているのだろう。

補足:4話で明らかになるが、湯川の夫・ヘルメスが魔法である程度呪いを無効化しているため、やや呪いの効果が軽減されている。



「……わあ」
トイレから研究室へと戻る途中、葛葉は唇の端をひきつらせて、小さく声をあげた。
いつの間にか、赤い塗料で廊下のところどころに鳥居のマークが描かれている。近づいてみると、まだ乾ききっていない。大学の警備はどうなっているんだ。
その鳥居を辿っていくと、当然――湯川研究室へとたどり着く。
「霊道(れいどう)ってやつかぁ」
霊道――読んで字のごとく、霊が通る道のことだ。このように細工をすれば、霊道の進みを強制的に変えることができる。本来霊道でないところはもちろん道の先がなく、行き止まりの状態になるために、霊がたまる――たしかそんな風に学んだ気がする。
姉と一緒になんとなく勉強したが家業を継ぐつもりがなかった葛葉には関係ないと思っていた知識が、こんなところで役に立つとは。
やはり学習とは、あなどれないものだ。
無駄な知識などない。

「先生、郵便きてましたよ~」
今とってきました、という表情をつくって研究室のドアを開ける。
「……うわ」
朝以上にどんよりした空気が満ちていた。おそらく、先ほどあった霊道のせいだろう。顔色の悪い安倍先輩が、よろよろと葛葉に近づいてくる。
「あ、滋丘。湯川先生は広報課のとこへ打ち合わせに行ったよ。…いや~、記者会見するのは湯川先生なのに、俺も緊張してんのかな。ずっと体調悪いんだよね」
それは呪いのせいです。
――とは言えずに、曖昧に微笑む。そして郵便物を教授室のドアに設置されたかごへ放り込むと、素早く研究室を出て、鳥居をごしごしと靴の裏でこすって消した。赤い塗料が周囲に伸びて、鳥居よりもおぞましい模様になってしまったが、まあきっと大丈夫だろう。
「っていうか、先生。やばいかも」
一拍置いて、葛葉は気づいた。一人になった時間帯に何かあったら大変である。慌てて広報課へと葛葉は駆け出した。



緑の多いキャンパスの中は、柔らかな日の光に満ちて穏やか――なのだが、葛葉にとっては、今となっては呪われしキャンパスである。
何が起きるかわからない。

そんな風に考えたのがよくなかったのか。
それがフラグというやつだったのか。

広報課のある事務棟へ向かう途中で――葛葉の背中にぞっと悪寒が走った。
まずい、と本能的に理解する。
何かまずいものが、こちらに向かっている。
正体はわからないが、とにかく「やばい」ものだ。

葛葉反射的に、頭のなかに浮かんだ言葉を口にした。

「「これはまずい」」

――葛葉と誰かの言葉が被る。
葛葉がぎょっとして真横に顔を向けると、そこにいたのは湯川の夫、ヘルメスだった。

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