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25歳の私が吃音症で障害者手帳を取った理由

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25歳になった春の終わりに、私は吃音症(きつおんしょう)で障害者手帳を取ることにしました。 

私は6歳(小学1年生)の時には吃音症があるのを自覚していました。
ですので吃音症とは今年で19年の付き合いになります。
結構長い付き合いです。
付き合いが長くても未だに吃音症との距離は変わらず、成人してからも吃音症は治る様子もありません。

吃音症のことを知らない人も多くいると思うので説明すると、  

吃音(きつおん・どもり)とは会話をする時に流暢に話せない発達障害です。 

言語症状を「エビフライ」と吃音者が話す時に見られる症状で説明すると、 

① 「エエエエビフライ」のように音を繰り返す『連発』(語音・音節の繰り返し)

 ② 「エービフライ」のように音を引き伸ばす『伸発』(引き伸ばし) 

③ 「……エビフライ」のように最初の音が詰まってでてこない『難発』(ブロック)

 この他には

 ・随伴症状(手や身体が動かしながら話すこと。それの方がどもりを抑えられたりする場合がある)

 ・情緒性反応(吃音による不安や緊張などの感情で表情や態度に変化が出る)

 ・回避(どもる言葉を回避する、ジェスチャーを使ったり言葉を言い換えたりする 例:エビフライ→エビを揚げたもの)などがあります。

(参考文献:日本吃音臨床会国立障害者リハビリテーションセンター

親しい人の前では吃音が出なかったり、逆に緊張する場面ではひどく症状が出てしまったりします。
 

私の場合は親しい人といてもその時の精神状態によってはどもりがでるし(家族相手でもどもります)

 面接やプレゼンテーションの場面ではどもりが特にひどくでます。(吃音がひどすぎて面接官にため息を吐かれたこともあります……) 

自分の名前が言えない時もあります。 

電話をしている時は特にひどく出るので電話は極力避けています。
(ですが大人なので避けきれない時は観念してどもりながら電話しますが)

 私生活でも吃音症を気にして会話がしにくい時があります。

 好きな物の名前がどもって言えないことをストレスに感じています。 

そんな私が障害者手帳を取った理由は、健常者として生きるのに限界を感じたからです。 

吃音症を隠せる人もいますが私にはそれが出来ないことを、社会人として3年半勤めてようやく理解しました。

 働いていると、仕事として逃れられないことが出てきました。

主にプレゼンテーションや電話対応。
健常者として採用された私は吃音症を理由に逃れることはできませんでした…… 

「社員だからやれるよね?」という圧力に出来ないと言えない私も原因にあります。(弱い)

その会社とはいろいろあり辞めたのですが、退職理由に吃音症は直接関わってはいないけれどいつも吃音症の不安を感じながら働いていました。 

しかし吃音症は調子のいい時は全く出ないので、その調子の良さをコントロールできれば上手く働いていけるのでは……!?

と、当時は思っていました。

 でもそんなことは簡単には出来ませんでした。
それも当然です。

 仕事のプレッシャーやストレスに加えて吃音症のコントロール、それを器用にこなせる技量は私にはありませんでした…… 

ていうか、吃音症をコントロール出来ていたらとっくに治っているよね……(笑)
そもそも学生の時から隠せてないのに急に出来るわけがない!(笑) 

社会はとても厳しいです。もちろん厳しいだけではありませんが。

しかし コミュニケーションが重視される現代で、吃音症を周りに理解して貰うのに手っ取り早いのが障害者手帳だと思いました。

「吃音症って言うけど、サキちゃんそんなに(どもりが)酷くないから大丈夫じゃない?」

とはよく言われます。でもそういうんじゃないんですよ!

吃音症が酷い酷くないじゃなくて吃音症が有るか無いかなんだよ!

どもりとは19年の付き合いだから少しは上手く付き合えてるんだよ!

それだけで全然大丈夫じゃないんだよ!

って、声を大にして言いたい……

以上が障害者手帳を取った理由です。

とても暗い話が多くなってしまいましたが、 私はそのおかげでようやく家族に吃音症で大変だったことを理解して貰えました。 

おかげで少し気が楽になりました。それだけでも私にとってはようやく一歩前に進めたように思えます。 

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