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岐阜市の鵜飼、豪雨と人手不足に悩む

 岐阜市の夏場の観光の見どころの1つが、毎年5月11日から10月15日まで市内を流れる長良川で繰り広げられる「ぎふ長良川鵜飼(うかい)」です。1300年を超える歴史があるとされ、織田信長も客人に鵜飼いを見せてもてなし、松尾芭蕉も鵜飼を見物したことがあるといわれます。かがり火のもと、鵜匠(うしょう)が鵜(う)を操り、鮎(あゆ)などの魚を捕らえさせます。ただ、今年は記録的な客足の落ち込みに見舞われました。10月16日付の「日本経済新聞」朝刊中部社会面でこのような記事を書きました。

 岐阜市の長良川で5月から繰り広げられてきた国の重要無形民俗文化財「ぎふ長良川鵜飼(うかい)」が15日夜、閉幕した。今年、観覧船で鵜飼を見物した人は約7万6千人と、前年の約11万人から3割減った。岐阜市で乗船者が10万人を切るのは記録が残る1965年以降で初めて。豪雨の被害で7月に21日間中止になったことが響いた。 7月の豪雨で大量の土砂が運ばれ、観覧船を出せなくなった。21日間のキャンセルは約1万8千人に達した。土砂を重機で取り除いて再開にこぎつけたものの、乗り場付近の流れが以前より急になり、雨で増水すると運航に影響が出るようになった。期間中の中止は全体で42日間まで増えた。 本流も流れが変わってしまい、国土交通省に改修を要望している。鵜飼を運営する岐阜市は「船頭の人手も足りず、観覧船を使わない見せ方を来年以降、考えなければいけない時期にきている」(鵜飼観覧船事務所の林素生所長)と話している。

少し詳しく説明します。鵜飼の舟は鵜匠が乗る鵜舟(うぶね)と、観光客が乗る観覧船があります。鵜舟は長良川の上流からかがり火をたき、漁をしながら下ってきます。観覧船は下流の乗り場から上流に向かって進み、鵜舟が来るのを待って観覧します。観覧船を川岸に係留した状態で鵜飼いのようすを見る「付け見せ」と、観覧船が川の本流に出て鵜舟と並んで鵜飼を見物する「狩り下り」という見方があります。今シーズンは増水が多く中止にはならなかったものの、本流に観覧船を出さない「付け見せ」が多くなりました。それぞれの見せ方に観光客の好みはありますが、「狩り下り」は鵜が魚を捕まえるようすを近くで見られます。

岐阜市の鵜飼は市営事業です。庁内では「観覧船を使わずに岸辺から鵜飼を見せてはどうか」との案も出ているといいます。これなら観覧船が増水で出せなくなっても、鵜舟だけは出すことができ、川岸に観覧船を係留する「付け見せ」と同じ目線で観光客が鵜飼いを楽しむことができます。鵜飼観覧船事務所の林所長は「防災上、固定の桟敷を設けるのは難しい」と言いつつも「今シーズンの記録的な鵜飼いの中止は、将来のあり方を考える転機となるかもしれない」と話しています。

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議論の根底にあるのは人手不足です。岐阜市の長良川鵜飼では140人余りの船頭が活躍しています。観覧船の船頭は観光客に鵜飼の知識を披露するガイド役も果たしていて、役割は重要です。ですが季節就業の側面が強く、岐阜市によると高齢者や大学生に人材を依存しているといいます。特に学生アルバイトは「就活のために仕事を離れてしまう人が多い」のが実態です。そもそも岐阜市は大都市の名古屋に近いため県境を超えて進学する人の割合が高く、アルバイト先も名古屋に求める学生も多いとみられます。少子化の進展も若者の船頭のなり手を減らしています。

高齢者についても「以前は船頭さんが急に休みとなれば、その家族が急きょ駆けつけて代役を務めたものだが、最近はそんなことは少なくなった」(林所長)といいます。家族の単位が小さくなったことなどが、地域で受け継がれてきた船頭のカバー体制が維持しにくくなった要因と考えられます。

岐阜市は今後、来年5月の鵜飼開きに向けて長良川の環境を整えていくことになります。これと並行して、人手不足にどのように対応していくか、検討を重ねていくことになりそうです。