在宅勤務で得たものと失ったもの
4月以降の在宅勤務でつらつら思ったこと。なお失ったものは、「在宅だから」なのか「コロナだから」なのか一部ごっちゃになっている。
【得たもの】
・時間。通勤に片道1時間以上かけていた身からすると、出勤しなくてよいというのはすごく楽。今は毎日5km走って筋トレもして、とやっているが、出勤していたらとてもそんな時間は捻出できないだろう。
・行動の自由度。筋トレができるのは時間もあるが、周りの目を気にしなくていいのが大きい。職場でいきなり腕立てを始めたら皆引くだろう。自宅だと服を着替えるのもらくちんなので助かる。あらかじめ着替えを持っていく必要もない。
・体力。満員電車に押しつぶされ、それなりにストレスもかかる状態で行き帰り通っていたのはすごく大変だったのだなということがよくわかった。「しんどいー出勤つらいー」と思っていたのが「明日出勤しなくてもいいんだ」と思うだけで心が少し軽くなる。
・自宅での活動。息子を保育園に送った帰りにスーパーによって買い物、とかできるようになった。平日限定のランチとかも行こうと思えば余裕。宅配の受け取りに四苦八苦することもない。洗濯も庭仕事もいつでもできる。無理なスケジューリングする必要が減った。
・子供との時間。コロナ前は仕事で遅くなり、帰ったら既に息子は寝た後ってことがけっこうあって寂しかった。今は(仕事が終わっていれば)息子と遊ぶことができるし、お風呂に入れてあげることもできる。
【失ったもの】
・食欲。何しろ家から出ないのでお腹が減らない。普通に食べていると「コロナ太り」になってしまうので食を抑えた結果、外食をほとんどしなくなってしまった。ランチどこ行こうかなと考えていた頃がなつかしい。行きたいけど行けない。
・他人との会話。他人としゃべるということはとても大事だったのだ。ミーティングをセッティングするのではない、普段の会話。お店の人とのやり取りとかも。これは情報のやり取りというよりは心の活性化という面で重要であるように感じる。家に一人でいると何もない。何の変化もない。
・刺激。イベントや出張が全て延期、中止になった結果、「来週までに○○やらなきゃ」みたいな締切が減り、アウトプットによる達成感やフィードバックもなく、ただただもくもくと作業をしているだけの日々に気づく。最初はそれで良かったが、数ヶ月続くと緊張感が保ちづらくなる。適度な刺激は健全に仕事をすすめるにあたり大事であった。出張計画たてて交通機関やホテル予約するのも嫌いではなかった。今は仕事はたくさんあるのに毎日が退屈だと感じる。
・自己承認。人は他人との交流、評価、承認なしに自分を承認できるのだろうか?岸辺露伴が「マンガを書いて気持ちよくなるのは最初のちょっとだけで、その後すぐにこの方向でいいんだろうかとか来週はもう誰も読んでくれなくなるんじゃあないかと不安になるんだ」ってジョジョで言ってたけどすごくよくわかる。一人での作業は「今の方向でいいんだ」と思えるイベントが皆無なので自分で自分を奮い立たせるしかないのだが、一旦ネガティブになり始めると脱却するのが大変。誰かに相談したいのだが、その誰かを見つけるコストが普段よりかなり高い。気分転換にご飯/旅行でも、と気軽にできないのもかなりつらい。
・情報に対する耐性。日常の刺激が失われた結果、脳が刺激を欲しているようであり、普段は大して反応しないような情報に過剰反応してしまったりする。Twitterで仕事情報見ると他の人が遙か先に行ってしまっているようで「自分なんか全然ダメだ」と思ってしまったりとか。個人的には「他人の悪口を聞く雑談」が苦手なんだけど、その苦手度がすごく増した。耐性の低下を感じる。
・心の自由。仕事への不安感が高まり、「もっと仕事しなきゃ」という気持ちが強くなった結果、「ちょっと散歩」「ちょっと庭仕事」みたいなことに時間を使えなくなってしまった。上で書いたことと矛盾するようだが、仕事以外のことができない。それでも無力感にかられる。疲れないはずなのにすごい疲れている。
【まとめ】
失ったものが得たものの良さをかなり覆い隠してしまっているように感じる。時々は刺激を求めて外に出た方がよろしい。誰かとリアル飲み会したい。飲み屋に行きたい。
おわり。
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