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求めよ、さらば与えられん

評価と目標、鶏と卵

勤め先は8月が期の開始なので、最近は半期ごとの評価と目標設定がやること一覧に入っている。評価をするのは好きで、筆が乗る。きちんとした評価軸があれば、新たな目標を作る一助になる。今後に向けてより頑張れるように振り返り、自他共にエールを綴りたい。
そんなことを書いておいて、私は自分の目標を掲げるのが下手だ。日々ちまちまと行動していることはあれど、それらが積み上がった先の見通しが立っていないのだと思う。周りからの言葉や集められるデータを元に、なぜこの行動を取っているのかを可視化していかねばだ。

組織での目標設定のためにそれほどにも大切な自己理解だが、過去10数年のキャリアの中で、働いていてもフィードバックが受けられない期間があった。現職に就く前の1年3か月だ。

ご無沙汰でした

2021年の夏。長年勤めた1社目を、期の半ばに退職した。きっと事務処理の中で可もなく不可もない評価がついたことだろう。引き抜いてくれた2社目に意気揚々と入社したは良かったが、そもそも評価者が誰なのだかわからない混沌があった。ようやく新たな上司と半月に一度の1on1が始まって数か月で退職と相成った。自分の選んだ道が正しかったのか答え合わせをしながら歩んでいくはずが、やっちまったか…と頭を抱えた。
これらは折しも40歳前後の出来事で、もろ私のゴーギャンコンプレックスに拍車をかけた。

ミドルエイジクライシスに向き合う

一旦無職になった最初の頃こそ、これで育児との両立のために仕事を休まなくて良くなったかと前向きに考えるよう努めた。乳幼児の頃に比べれば想定外の事象は減ってきたとはいえ、土曜授業の振替で月曜が休みになったり、我が子が元気でも学級閉鎖・学年閉鎖が決まったりと、平日に学校に行けないことは結構あるのだった。
しかし、コロナ禍が始まって3年近くフルリモートで働いてきて、柔軟な働き方で成果を出せるはずなのに仕事がないという状況には耐えられなかった。

夫や子どもたちからも同じ屋根の下に暮らしながら良い刺激を受けられるけれども、「何を食べていたらこんなこと思いつくんよ」という革新的な衝撃はない。だから、リモートでも対面でもいいから、再び職場の上司・同僚とコミュニケーションをしながら日々を送ることを望んだ。なるべく違う世代や立場の人と意見を交換することで、さまざまな視点を追体験し、自分の考えが独りよがりにならないようにしたかった。学校を出たての若者から年金受給まであと少しの人々が働く職場は、さまざまな人と出会いたい私には格好の場だった。自分とは違いすぎる人の存在がストレスになることも正直あるけれども、隠者じゃあるまいし、避けて生きるほうが不自然なのだ。

ちなみに、自分に正直にあること、価値観を見据えて堅実に歩むことがミドルエイジクライシスへの対策であると、後になって知った。

ぽっかり空いた穴を埋める

時間と心に空いた穴を満たすため、時給制の在宅ワークを始めた。誰かにスキルを必要とされ、仕事の勘を磨き続けられるのは嬉しかった。任せてもらえる業務に全力を尽くし、定期的にチーム会にも入れてもらっていた。自分自身が業務委託で働く経験がほんの数か月でもできたおかげで、その後に業務委託のワーカー数十人に働く機会を提供する事業での成功につながったから、感謝している。
当時不満はなかったが、しいて言えば、人材育成畑で育った私の求める類のフィードバックを得られなかったことくらいか。外注である私や他の在宅ワーカーと良好な関係を保つことが目的だっただろうから。

再就職活動では、エージェントから「他の人に決まった」「ポジションクローズした」と先方都合での不採用通知が続いた。これらはフィードバックではなく、単なる事実(もしかしたら建前)である。自分が先に進めなかった理由があったなら、包み隠さず知りたかった。2社目を去るときに「あなたのせいじゃない、ごめんなさい」と言われていて、すでに不完全燃焼だったからだ。毒を食らわば皿まで、忌憚のない意見を求めていた。
まあ、「話してみたら何か違った」と思った相手に、建設的なフィードバックなんてしないか。自分が忙しくて、どうでも良い相手だったら、違和感を言語化する面倒な過程など踏まない。エージェントもより確度の高い求職者探しに向かっている。

本当にほしかったもの

それはリスペクト

縁あって再就職し、もうすぐ2年になる。フィードバック欲を拗らせながら彷徨っていた期間を上回った。

フィードバックがほしいと連呼するとクレクレ君みたいで語弊があるから、もう少し掘り下げてみたい。私が求めてきたのは、何が起こっていて相手が何を考えているのか、求めれば納得の行く説明が得られる風土なのだと思う。特に、人間の意思決定を経て決まった結果であれば、その前提条件や思考過程を知りたい。もちろん自分も何か聞かれたら、相手によって態度は変えず、はぐらかさず答える準備を常にしておく。カタカナ語でアカウンタビリティとかインテグリティといって、上司でも部下でも腹を割って話せることが大事だと考える。

おいしいものも口に苦い良薬も

私はフォーマルだろうがインフォーマルだろうが、フィードバックは糧だと思っている。相手の時間を使って供するからには、受けるにせよ与えるにせよ、実のあるものにしたい。feed+backは字義どおり捉えれば、人の行いに対して栄養になるものをお返しすること。おいしいものは喜ばれるが、まずくても相手がより健康でいるためだったら差し出さねばなるまい。どちらにせよ、相手の長所を伸ばし課題を補うというのは、何かに懸命に取り組んでいる人を尊重し礼を尽くす行為と言える。

フィードバックは一方的ではなく、自分の出し方と相手の反応に細心の注意を払って行うことも大切だ。聖書にある有名な句「求めよ、さらば与えられん。尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん。」というのは、相手の都合も考えずに真夜中でも門を叩けという意味ではない。それに対して返って来るのは怒号だろう。求め方も尋ね方もそうで、相手から惜しみなく奪ったらいけない。

心にダムはあるのかい

ここまで辛抱強く読んでくれた人で、それでも相手に何か言われるのが嫌だなと思っている人はいるだろうか。働き続けるには、耳の痛いことでも受け止められる余裕があるとよいと思う。相手が自分に向ける言葉がやたら突き刺さるとき、自分の認知にバイアスがないかも確認してみてほしい。

でも、世の中にはたまに人を傷つけるくらい口が悪い人がいるのも事実。喧嘩や悪口は仕事ではなく、ただの憂さ晴らしだ。我慢せず、自分が成長できる環境を求めて去ったらよい。

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