ぞいぞい日記

山羊座。O型。黒ヒョウ。ヴァータ。

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最近の記事

202406某日

いまは管理地になっている空き家の軒先に座り込み、ぼーっと、スマホをいじるなどしていたところ、ちょうど同じ高さの目線となった、幼稚園か小学校の制服を着た男児が立ち止まってちらっとこちらを一瞥したので視線を送り返したら、表情を変えることなく、彼はそのまま去っていった。

    • 202405某日

      犬の後ろ足の指の本数は4本らしい。知らなかった。知らないことはたくさんある。

      • 202405某日

        日々肌身離さず持ち歩いていたイヤホンをどうやらなくしてしまったことに気がつきとても落ち込むが、中学の入学祝いにMDプレイヤーを買ってもらい(その時にツタヤで借りたのがバンプのjupiterだったはず)、それからかれこれ20年くらいずっとイヤホンと共にある人生を過ごしてきたわけで、これもなにかの(神様の?)思召かもしれない、しばらくイヤホンを持たずに暮らしてみるのもいいかも、と思うことにするか、否か。

        • 202405某日

          平日の昼間に、千葉方面へ向かうために品川発の上野東京ラインに乗る。電車はとても空いていて、車両にはほかにはだれもいない。座席はボックス型になっていて、進行方向にまっすぐに座って流れる景色をながめているだけのことがこんなに楽しいものかと感動する。予報の時間を過ぎても雨はまだ降り出してはいないし、だんだんと車両には乗客が増えていくものの、目的の駅にもまだしばらく着くことはない。

          202405某日

          『ジョアン・ジルベルト読本』を買って以来、ジョアン・ジルベルトを繰り返し聞いている。とてもシンプルで明晰なのに、その構造を把握しようとした途端に崩れてしまうような、諸要素の力の均衡によってなりたっている音楽。大抵の曲にはわかりやすく拍を刻むハイハットのたぐいの音が入っているのに、その目印となるはずの音を頼りに聞いているうちにかえってリズムを見失ってしまうことの不思議さに驚き、そしてまた聞くことになる。

          202404某日

          Tシャツに薄手のシャツを1枚羽織るくらいで外に出ることのできる季節になってきた。うれしい。しばらくひきこもってなにもしていなかったが、もうしばらくこの感じを続けていきたい。最近は清水アリカと競馬にハマっているのだけれど、全集の年表を見たら清水アリカも競馬が好きだったようで、おそらくその記述を見て自分も競馬に興味を持ったはずなのだが、すでにそのことは忘れられていて、こうやって起源は失われていく。今してることのほとんど、好きなものとか、そういうものもみんないつどうやって始めたのか

          202404某日

          ホームで電車を待っているだけでも幸せになるような季節がきて、ただ風が肌に触れるあたたかさとやわらかさを感じられるだけの余白を保ちつつ生きていければそれだけで十分なのに、と思いつつ、割りきれない日常は続いていく。

          202403某日

          ひさしぶりのよく晴れた日で駅までの道のりを歩いていたら、ずっと工事中だったところのカバーがはずされていて、そこには新品の公園があり、最後の仕上げをしている作業員たちが午後の傾斜の大きな光を受けてこちらのほうへ逆光で浮かび上がってくるのを、目を軽くつむりながら見る。

          202403某日

          正しいことをしている自分を肯定することはそこまで困難なことではないが、間違っている自分を肯定することは非常に難しいことだ、ふとした折に思う。(朝に読んだJeff Tweedyの本がABBAを好きな自分を肯定することの難しさについてだったから無意識的に影響を受けたのかもしれない。)

          202403某日

          継続という概念や達成という概念からほど遠い生を送り続けてきたので、思うところがあってYouTubeで1000万再生くらいされてる顔周りがシュッとするストレッチを続けてみたら、顔周りがだんだんシュッとしてきている。うれしい。

          202403某日

          毎年恒例のみすず読書アンケートを読んでいたら、早川由真という映画研究者の書いてること(と選書)がかなり自分に近く、しかも個人的な興味というよりも世代的なものを感じたので調べてみたら、どうやら同じ年で、しかも過去に同じ大学の同じ学部に通っていたようだった(もしかしたら共通の友人もいるかもしれない)。やっぱり。この、カルチャーへの愛着と距離感、中途半端さ、ためらい、そして(個を超えた世代としての)才能の欠如。こういうものをつよい実感として感じるのだけれど、これがどの程度の普遍性が

          202403某日

          武蔵小杉のショッピングモールで、平日から長い行列のできている人気の回転寿司店が自らを「回し寿司」と名乗っているのを見て、しばし感じ入る。新自由主義的なあはれ。コピーライティングという技芸の最良のあらわれ。(という文章を何も注文することのないままフードコートの椅子に座りながら書く)

          202402某日

          竹橋の、国立近代美術館で中平卓馬の展示を見る。展示の感想としてはここに書き尽くすことはできないくらい、いろんなことを考えたのだけれど、晩年の中平の言葉、写真とは「短い希望」であるというその、短い希望というのが、ショートホープ(という煙草)にかけた言葉なのか否か、そこが今の自分には判断できないという、そのことについていろいろと思いを馳せたわけではなく、大井町の立ち飲みなどを巡り、酩酊し、それなりにお金をたくさん使ったことについて、いま、ラーメンを食べながら、考えているかというと

          202402某日

          去年引っ越してきた、木造の汚く古い(にもかかわらず趣を感じさせることのない)アパートは、おそらく本来は人間のためではなくねこのために存在しているもので、帰宅の際はいつも、玄関の前で数匹のねこが集まってねこねこ会議をしているところに割って入るようなかたちになり、その都度ねこたちは驚いて四方に飛散していくので(世田谷のねことは違い、ここのねこはまったく人になつかない)、居候の分際で重要な場を荒らしてしまってもうしわけがない、という気持ちになる。

          202401某日

          JRの窓にはいつからかシアンがかったフィルムが貼られるようになっていて、そのせいで、車窓から見える風景が印象的に見えることがときおりあるのだけど、今日見た品川の臨海部の風景もそれで、斜めから差し込む夕日が高層ビルをオレンジに染めて、そのオレンジにシアンが重なった時のなんとも言えない色。

          202401某日

          用があって、東京駅の目の前の鉄鋼ビルディングというビルに出向き、なんとなくその名前が気になってネットで調べたら社史のpdfが出てきたので、読んでみると、そこには50年以上にわたる紆余曲折が書いてあり、ビル一つにもあたりまえだけどこれだけの物語がある、その、世界の無限の豊かさに、頭がくらくらする。