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チェッカーズの歌に励まされる

こんなはずじゃなかった

どうしてこうなったんだろう

自分のしてきた大小様々な選択の積み重ねで

今現在自分の姿、状況があり

全ては自己責任

そう考えた方が吹っ切れるというかある意味楽というか

でも実は

環境、社会、遺伝子、家族、前世、、、

自分の選択の背景にはいろんな要素が絡まっていて

今までの選択は

本当に自分が選んだことだったんだろうか と

その時は目の前にある(限られた)選択肢と睨めっこして

決めることに必死になって焦っていて

つい、自分のハートの声を聞き忘れている

たくさん考えたつもりでも 

当時はその選択に納得していても

振り返ると

違ったなあ・・・ってことばかりで

全ては自分次第

そうとも思う 

けど

完全にそうとは言い切れないし
言い切ってしまったら酷だと思う

自分次第なのは5〜7割で

後の半分〜3割は自分ではどうしようもできない他の要素が絡んでる

そう思う

その要素は「運」だとか「縁」だとか

見方によっては「言い訳」に映る

「周りのせいにしている」とも

場合によってはそこを考えることでもっと苦しくなるかも

だから

全部自分が悪い 私のせい

そう言い切ってしまった方が潔いし切り替えられるんだろうけど

事実はそうじゃない

自分以外の色々が絡んで働いた結果

こうなって今の自分と状況がある

「自分では選べなかったこと」が 必ず何割か存在している

だから 

しょうがなかった。

そう思うと少し軽くなる 

自分を追い詰めなくて済む

全部自分に委ねるとしんどいから

自業自得は5割程度と思っておく

幸運な場合も然り 
自分の行いでどうにかなる部分は所詮◯割であとは他の力が働いてる

だから自分のおかげなんてことはなくて
反対に
自分のせいってことも(もしかしたら)そんなにないのかもしれない

不幸は何をしていても訪れる

それが明らかに自分の選択の結果に見えても

自分が導いたことのように思えても

全くそうじゃなくても

何にせよ

しょうがないことだった 

その不幸や不遇を 
悲しさを寂しさを 
苦しさを辛さを 
大変さを 
どうしようもできなさを

わかってくれとは言わない

そんなに私(俺)が悪いのか???

ってチェッカーズのあの歌詞を思い浮かべる

後悔や失敗なんて歌い飛ばして

ハートの声だけは無視せず軽やかに

自分に生きていく
















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