ウマ娘偽コラム記事(バニーガール編)

前置き
※ウマ娘の世界にありえそうな記事という体裁の二次創作ネタです。
※キャラクターとしてのウマ娘は出て来ません。
※BDSMのポニーガールとは無関係です。
※内容から参考文献から何から何までフィクションです。
※マジの引用元だけは最下部に記載してあります。


いつから”ポニー”は”バニー”になったのか?

ルーツはウエイトレスではなくボディーガード! さらに古代まで遡る!?

 肩と胸元が露わになったレオタードのようなスーツ、パンストに網タイツ、付け襟と蝶ネクタイ、シャツの袖口風カフス、そして何より特徴的なのがウサギの耳を模したヘアバンド……”バニーガール”という言葉を聞いて想像するのは、きっとこんな衣装のセクシーな女性だろう。
 では”ポニーガール”といえば? この言葉からバニーガールのような服装のウマ娘をすぐに思い浮かべられるのは、アラフォー世代以上ではないだろうか。
 40年前には当たり前にいたポニーガールたち。果たして彼女たちは、一体いつの間にバニーガールへと姿を変えたのか。そもそもポニーガールはいつ、どのような経緯で誕生したのか。
 今回は『ウマ娘の文化的影響』の著者・角石安蘭氏に話を伺った。


ポニーガールとは

 バニーガールと聞いて、どんなシチュエーションを思い浮かべるだろうか。高級なナイトクラブやキャバレー、ガールズバー、人によってはカジノということもあるかもしれない。あるいは深夜のテレビ番組と答える人もいるだろう。いずれにせよ、セクシーなイメージがついて回っているという点は、誰しも共通しているのではないかと思う。
 それでは、ポニーガールはどうか。概ね同じ回答になるだろう。しかし、ポニーガールを目にする機会は減っており、バニーガールほどイメージをしやすいものではなくなってきている。ヒトとウマ娘の個体数に比例するのだから、当然の話ではある。

 ポニーガールを見かけない最大の理由として、80年代半ばから末にかけて起きた人権団体による差別撤廃のムーヴメントを外すことはできない。
 現代ではポニーガールとウマ娘は完全にイコールで結ばれているといっても過言ではない。だが80年代までは、バニーガールよろしくウマ娘の耳と尻尾を模したパーツを身に着けた”ヒトによる”ポニーガールが数多く存在していたのだ。
 しかし80年代も半ばに差し掛かった頃、「ウマ娘の耳や尻尾といった身体的特徴を模倣した挙句、男性相手の給仕行為をさせるのは、彼女たちの尊厳を著しく貶める行為である」という批判の声が噴出した。
 奇しくもこの頃、メディア業界全体の過剰に性的な表現全般に対し、女性団体の抗議運動が盛り上がりを見せ、PTAからも激しい苦情が寄せられていたことも追い風となり、90年代の初頭にはウマ娘以外のポニーガールがほぼ完全に姿を消すこととなったのだ。
 その代替品として現れたのがバニーガールである。(だが、なぜウサギが選ばれたのかやその後の騒動については、今回の内容から大きく外れてしまうため、他の資料に説明を譲ることとする)


ポニーガールのルーツ

 そもそもポニーガールはいつ頃から存在し、どのような経緯で誕生した文化なのか。
 その疑問を語るにあたり、まずは古代文明の時代にまで遡る必要がある。

 ウマ娘と人間の膂力は大きく異なる。
 古代、彼女たちは神として崇められたり、時の権力者に取り立てられたりしていたという伝承は、世界各国に残っている。小学校の歴史の授業でも習うので、読者の方々にとっても馴染み深いことと思う。
 ウマ娘を模した歴史的遺産としては、始皇帝の兵バ俑や、トロイアの木バが代表的である。国内の事例としては、群馬県で多数のウマ娘埴輪が出土している。

 さて、主題であるポニーガールと話を結び付けよう。
 国内の古墳や遺跡から出土しているものは、埴輪のような副葬品だけではない。装飾品も多数見つかっている。
 そのうち、王やその親族とみられる墓所からは出土せず、戦士とみられる遺体の周辺からのみ発見されている特殊な装飾品がある。高崎馬王古墳から出土した「二角金銅製冠(通称:二角冠)」と呼ばれる、二つの突起状装飾が特徴の冠だ。(※図1)

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図1:二角金銅製冠(馬王古墳史料館蔵)

 類似する古代の冠としては、藤ノ木古墳から出土した金銅製冠がある。比較すると、藤ノ木古墳の金銅製冠が波状の文様が樹形に広がり装飾性が高いのに対し、二角冠は披針形で飾り気のない突起状装飾があるだけだ。この披針形の突起は、よく見ると中央やや下部に窪みがある。
 そしてもう一つ、二角冠と対で出土する装飾品がある。「帯尾珠」と呼ばれるもので、腰帯の後ろに巻き付ける形で身に着けるという、他に例を見ない用途の装飾品となっている。復元を試みたところ、ガラス製の管玉や算盤玉を複数繋げた約50センチの紐状装飾を10本程度束ねた、大変に豪勢な代物となっている。(※図2)

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図2:復元された帯尾珠(馬王古墳史料館蔵)

 二角冠と帯尾珠が象徴するもの。冠の二角はウマ娘の耳を、帯尾珠はウマ娘の尻尾を、それぞれ模した代物と考えられている。つまり戦士の最高峰がウマ娘であった時代、ヒトの一流の戦士には、強者であるウマ娘を模した耳と尾を身に着け、その力を呪術的に授かる栄誉が与えられた……という説が主流だ。類感呪術の一種である。

 国外でも同様の事例は見られており、メソポタミアの耳冠、エジプトのウマ娘型ミイラマスク(収められているのはヒトの王であった)、パレンケの耳付き翡翠面など枚挙にいとまがない。
 こうした事例が示す重要な事実は、いずれも「ヒトの男性のための装飾」であったという点だ。
 戦士としての最上位がウマ娘であった時代においても、ヒトの女性がウマ娘と同一視されていたわけではない。事実、数々の装飾と共に発見されている遺体に、現在発見されている限り女性は含まれていない。この当時、ヒトの女性とウマ娘は全く異なる役割を持つ存在として扱われていたことは明らかである。


ポニー”ガール”の登場

 では、いつからヒトの女性とウマ娘が合流するのか。時代は大きく現代へと近づき、1960年代にまで飛躍する。
 この頃のアメリカで、急速に事業を拡大し莫大な利益を上げていた男がいた。
 銃器メーカー・シルバーバレット社を若くして興し、一代にして全米でその名を馳せた経営者、ディエゴ・スミスだ。(※図3)

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図3:ディエゴ・スミス氏

 自らの仕事を売り込むためなら強引な手段をも厭わないと有名で、後に判明したところによるとギャングとのつながりもあり、汚れ仕事を引き受けさせる傍ら、武器の支援を行う共存関係にあったという。
 そのやり方から敵も多く、命を狙われることも一度や二度では済まなかった。かといってディエゴは暗殺に怯えて閉じこもるタイプではなかった。
 1960年2月、好色家としても有名だったディエゴは、本業とは別に高級クラブをオープンした。クラブのウェイトレスの服装は画期的で、一躍話題となった。
 肩の大きく開いたレオタード風スーツ、パンスト、網タイツ、蝶ネクタイにカフス。そして、何より特徴的なのが、尖った菱形の耳と、長く垂れ下がった尻尾。そう、ウマ娘の耳と尻尾を模した装飾だった。
 ”ポニーガール”と名付けられたクラブのウェイトレスたちが、歴史上初めて登場した瞬間であった。
 これまでの歴史においてウマ娘の耳と尻尾を模した装飾を身に着けていたのは、全て男性だった。そして装飾品が意味するところは、ウマ娘の持つ膂力や脚力といったフィジカルに由来する力であった。
 一方のポニーガールの装飾に、類感呪術的な意味合いは含まれていない。そこには実用的かつ明確な目的だけがあった。カモフラージュである。
 ディエゴは当時、雑誌のインタビューでポニーガールについて尋ねられた際、こう答えている。

 “私の命を狙う輩が居るからといって、私が行動を変えねばならないのか? 答えは”ノー”だ。(中略)キュートで、セクシーで、どんな悪漢よりも圧倒的にパワフルな護衛を複数用意し、全ての問題を解決することにした。私のクラブに迷い込んだ愚か者は、彼女たちを見て慌てふためきながら叫ぶだろう。「なんてこった! ギャングの方がまだマシだ!」とね。„
 (出典:ダニエル・ホワイト、『アメリカン・ドン・ファンの一生』英知社、p256)

 木を隠すなら森の中、というわけである。
 クラブ設立当初の名簿が残っている。それによると当時雇用されていたのは、ヒト女性が17人に対し、ウマ娘が3人だけだったという。
 ディエゴの大胆な作戦は、彼の期待通り効果的だった。常に自らの近くにはウマ娘を置き身を守らせていたこともあり、2度発生した暗殺も、未遂で防ぐことに成功していた。
 彼の周到さは徹底しており、ヒトの女性にはウマ娘の装飾を着ける一方で、ウマ娘にもヒトの耳を模した装飾を身に着けさせることで、外見で判断しづらくなるようにしていた。さらには衣装や装飾も毎度異なるものを使わせ、髪型も変えさせることにより、見た目の特徴を覚えにくくする工夫を凝らしていたという。
 余談になるが、これだけ自らの命を守ることに懸命なディエゴが、1988年1月、二日酔いの末に自宅の階段で転倒し死亡しているのは、暗殺から生き延びた男の結末としてなんとも皮肉な話である。


ヒトへの偽装と効果

 ポニーガールはヒトをウマ娘に欺瞞することでウマ娘と区別がつかないようにし、加害者に混乱をもたらす目的であった。その一方で、ウマ娘がヒトの姿にカモフラージュをすることがある。面白いことに、こちらも護衛の任務のために、である。
 ニュースで他国の首脳が来日したという場面で、ボディーガードの姿が一緒に映ることがある。多くは黒いスーツ姿という共通点を持つが、いくつかの国(イギリス、フランス、ドイツ、アメリカが顕著である)ではそこに加えて、帽子とウエストポーチも身に着けている。この2つが偽装の仕掛けだ。
 帽子によって耳を、ポーチ内に尻尾を収納することで、外見だけでヒトかウマ娘かの判断が困難になる。ポニーガールと目的は同じでありながら、真逆の発想だ。近年、女性ボディーガードが増加傾向にあることもあって、外見でヒトかウマ娘かを判断するのはより困難になるだろう。

 いつ頃からこうした偽装方法が存在しているのか。現在、最古とされているのは17世紀イギリスのピューリタン革命の際、イングランド内戦のエッジヒルの戦いにおける「死亡した兵の中には、帽子の中に耳を隠し、尻尾の毛を剃った上で服の下に隠して、男のふりをして入隊したらしいウマ娘がいた。(出典:ヘンリー・ディー、『歴史の中の怪事件』草原舎、p153)」という記録だ。(男装とウマ娘のカモフラージュには密接な関係があったと考える研究者も多く、事実、男装しヒトとして生活を送っていたウマ娘の記録は世界中に多数残っている)

 ではボディーガードが帽子とポーチを着けるようになったのはいつ頃からか。こちらは原因となった事件がある。
 アメリカ金融界の大物であるロバート・スティーブンスの息子ジョナサンは、幼少時に身代金目的の誘拐未遂を経験して以来、常にボディーガードに身辺を守らせながら生活を送っていた。(※図4)

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図4:ジョナサン・スティーブンス氏

 彼のボディーガードチームは男性3人、ウマ娘1人からなる専属チームで、そのうち2人ずつが交代で護衛を務めていた。
 1973年、温泉好きの彼がサラトガ・スプリングズを訪れていた時のことだ。観光目的で訪れていた彼は、物々しい雰囲気になるのを嫌ってか、護衛にもラフな服装をさせていた。唯一のウマ娘のボディーガードも、である。
 実は彼女、普段は帽子をかぶり、尻尾が完全に隠れるような特殊なポケットのついたスラックスを着用していた。しかしこの時、夏場であったこともあり、耳も尻尾も隠さない普段通りの服装をしていたのだ。
 8月3日、白昼堂々事件は起こる。2人の男性ボディーガードが離れた一瞬を狙い、ジョナサンは自動車に押し込まれ拉致されてしまった。幼少時と同じく、身代金が目的での誘拐だった。
 不幸中の幸いは、現場からの逃亡を試みた犯人が事故を起こし、駆け付けた警官によってすぐに逮捕されたため、怪我はしたものの無事に解放されたことだった。
 後に逮捕された犯人は「ウマ娘の護衛がいるとわかり諦めようかと思ったが、いないタイミングを狙った」と証言した。ウマ娘の存在が抑止力になっていたのは、古代の王たちを守っていた時代から変わらない。だが同時に、ウマ娘の不在が危機を招くという事実が浮き彫りになった。

 事件以来、ジョナサンのボディーガードは全員が帽子とウエストポーチを着用するようになった。
 後にこのスタイルがアメリカのボディーガードの中で広まり、全世界的にスタンダードとなったのだ(そのためこの組み合わせはアメリカン・スタイルと呼ばれることもある)。
 現在の身辺警護において、ウマ娘のボディーガードを雇用していない場合であってもアメリカン・スタイルを取る事例は多い。「ウマ娘がいるかもしれない」という心理的効果を与えるだけでも、防犯効果は高まるのだ。


雑踏に紛れたウマ娘たち

 最後に、日本におけるウマ娘の話にも触れておこう。
 古来より日本ではウマ娘と深いつながりがあったのは、先ほどの二角冠と帯尾珠の話で取り上げた通りだ。
 我々ヒトにとってウマ娘は畏れ敬う対象であり、歴史の転換点に彼女たちの姿があったと言っても過言ではない。中には今と同じように、市民として平穏に暮らした者もいただろう。だが彼女たちの多くは、荒ぶる時代の波の中、激動の人生を送ることとなったのは想像に難くない。
 狩猟、戦争、開墾、伝令……彼女たちの持つ並外れた力に、私たちヒトが必要以上の願いを託して来たのは、歴史が語る通りである。
 いくらウマ娘たちが圧倒的な力を持つとはいえ、個体数で勝るヒトの群れを支配することは難しい。もしそんなことが可能ならば、世界は今と全く異なる様相となっていただろう。だが現在、ヒトとウマ娘は同じ人類というくくりの中、共存関係を築いている。
 とはいえ、全てのウマ娘がヒトの社会で活躍の場を見出していたわけではない。必要以上に目立つことを嫌ってか、ヒトと同じ暮らしを望んでいた者も少なくはなかったようだ。
 町民たちの間で広まった噂や事件を集めた江戸後期の随筆『巷説見聞集』という作者不詳の資料に、ウマ娘としての素性を隠し暮らしていた人々の記録が残っている。いくつか要約し紹介しよう。

 明和元(1764)年3月、武蔵国の浦和宿で旅人同士の諍いがあった。些細な言い争いから次第に殴り合いに発展し、周囲の者たちが困っていたところ、突然虚無僧が割って入るやいなや、喧嘩をしていた男たちを片手で放り投げてしまった。皆が唖然とする間に虚無僧は悠然と去ってしまったという。
 この虚無僧、身丈は4尺6寸(約140センチメートル)と小柄でありながら、男2人を軽々と持ち上げるほどの怪力であったため不思議に思いよく見ると、尻のあたりが不自然に盛り上がっていたという。見ていた何某は「あの虚無僧はウマ娘だったのではないだろうか」と思ったそうだ。

 こんな話もある。
 年代不詳、摂津国に「熊谷坊主」と呼ばれる若者がいた。なんでも「生まれつき陽射しに弱い」ということで、季節・気候を問わず、旅人から貰ったという熊谷笠を被っていたことから付いた名であった。また、膝丈の長い着物を必ず身に着けていたという。奇異ではあったものの、人当たりが良く、何より大変懸命に働いたため、悪し様に言う者もなく平穏に暮らしていた。
 ある夏、これまでになく風の強い日、外で畑仕事をしていた熊谷坊主の笠が飛ばされてしまった。現れたのは二つの尖った耳だった。その晩、熊谷坊主は姿を消し、それより後に見た者はいなかったという。

 どちらの話も、事実かどうかは疑わしい点も多い。しかし、この時代には既に「笠と着物によって、特徴である耳と尻尾を隠す」という発想があったことについては間違いない。
 「実は正体がウマ娘であった」というエピソードの源流として、奇抜だが面白い説がある。
 民俗学研究者・諸田和二郎が著書の中で、あるおとぎ話について触れたものだ。

“では、初瀬姫はなぜ鉢を被らねばならなかったかといえば、ウマ娘である事実を隠すためである、と私は考えている。(中略)例え貴族の身分であれ、ウマ娘と知られれば戦場に駆り出されることもあり得ぬとは言えない時代における、徴兵逃れのための強硬手段であったと考えられる。実際には鉢ではなく頭巾や笠の類であっただろうが。„
 (出典:諸田和二郎、『物語に見る日本の精神』源書房、p564-p565)

 初瀬姫とは、お伽草子に出てくる鉢かづき姫のことだ。(※図5)
 裏付ける事実も乏しい説ではあるが、実際の話としてウマ娘としての素性を隠して育てたという話は数多く残っている以上、何らかの事実が物語に形を変えたものである可能性まで否定はできない。

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図5:鉢かづき姫

 ポニーガールという一見奇抜な支流を遡ることで見えてくる源流があり、さらに枝分かれした別の支流を眺めることで明らかになる知識がある。一つの出来事をきっかけに歴史を俯瞰する楽しみが伝われば幸いだ。
 今回、ここで紹介したものはいずれも端的なものばかりだ。参考文献も併記させていただいたので、興味を持った読者の方は一読をお勧めする。冒頭で紹介した拙著も手に取っていただけたなら、より喜ばしい。

                   (角石安蘭/文化人類学研究者)


参考文献(本文中に出典を明記したものは除外)
・洞巣健太、『ヒトとウマ娘の文化史 新版』府中大学出版
・黒松書房編集部、『ビジュアル版 古代史』黒松書房
・江洲木幹、『コスチューム・プレイの歴史』エムオーイー出版
・与倉武、『不夜城・赤坂 ~キャバレー黄金期物語~』有閑社
・柘植広、『テレビとクレーム ―ポニーガールはいつ画面から消えたのか?―』ウェーブ教養新書
・松田貴広ほか、『新明察国語辞典 改訂7版』往来書店
・西村俊ほか、『別冊BDSMマガジン アニマル・ロールプレイ大特集号』カイマガジン
・平沢敦、『暗殺阻止 いかにして陰謀は防がれたか』亜細亜新書
・呉洋、『誘拐大国ケースファイル』ナツメブックス



ガチの引用元
※図3、Pexels,cottonbro氏の画像を加工。(https://www.pexels.com/ja-jp/photo/7299465/)
※図4、Pexels,Ethan Jones氏の画像を加工。(https://www.pexels.com/ja-jp/photo/3222422/)
※図5、国立国会図書館デジタルコレクション『三草紙絵巻』1巻コマ11より引用。(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2574873?tocOpened=1)

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