俺の心音は120デシベルを超えて、なお

 壁の汚れに似た曇天を否定するように、原色のレーザー広告が空に飾られていた。
 広告の中の女が俺に微笑む。そんなマニキュアをたった一本買ったところで、俺の小指の先すら塗りつぶせない。
 耐用道路を選んで歩く。なるだけ早く、しかしトルクは抑えて。
「うるせぇぞ! 何にも聞こえやしねぇ!!」
 足元の指向性マイクは俺の駆動音の中から野次を拾い上げた。すまんね、どうにも。心の中だけで謝罪の言葉を呟く。

 編み物なんてできやしないし、忍び足さえ象にも劣る。そんな俺が探偵? 笑うよな。俺だって笑う。しかし生憎、声を上げて笑うとここいらの窓ガラスを漏れなく割っちまう。
 ビルを削らないよう慎重に右折する。爪先のウィンカーを点灯させる。自動的にサイドスピーカーから「右折します。ご注意ください」と聞き飽きた声が丁重に告げる。慌てて親子が壁際に駆け寄った。

 ダイナモ・キッド。誰もがご存知、巷を騒がす悪党だ。
 手口はシンプル。走ってやってきて、そのまま盗み、また走ってどこかに消える。
 人の物を盗むのはガキでも知ってるくらい当たり前に犯罪だ。だが本当に最悪なのは、そいつも俺と同じエンジンマンで、走るだけで軌道上にあるもの全て――建物も、命も等しく地均ししちまうってことだ。

『それでレイヴン? 私、行先聞いてないんですが、どこ向かってるんです?』
 俺のワトソン。非合法僧侶の美形坊主・紙月(しづき)が稀少超常能力のテレパスを今日も惜しみなく使い、脳へダイレクトに話しかけてきた。肩の備え付けベンチで、今時レアな紙媒体の本なんぞ読みながらくつろいでやがる。気取り屋め。
『決まってるだろ』
 紙月のヘッドホンに声を送る。
『今日は何の日か知ってるか?』
『さあ?』
 ダイナモ・キッドのあの突破力。描かれた軌跡――電車道。
 あんな芸当ができる奴の心当たりは、たった一人しかいない。

『スモウ・エクス・マキナ――千秋楽だ』

【続く】

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