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嫌いだった親を受け入れた手法

「親を親として見ると嫌なところがたくさんあってアレだったが、親を私への出資者という他人の部類として見ると関係やストレスが途端に改善した」という話を広げようの会。

⚠️この記事に親の愚痴を書くつもりはない。嫌いだった親と仲良くしようと歩み寄るまでの道のりを書く。

 まず、私の場合は親を親として見ると、粗がたくさん見えてしまって嫌になるのである。ここでは一切書かないが、山ほど愚痴が出てくる。枚挙に暇がない。親としての親には限りなく0に近い点数をプレゼントしたい。

 そんなに嫌いなら、わざわざ見方を変えてまで好意的に接しようとする必要はないのではないかと思うかもしれない。しかし、両親を嫌い、否定するということは、自己嫌悪へ繋がる。なぜなら、私は嫌いな親から生まれたからだ。親を本格的に嫌っていた頃、嫌いな親から生まれた自分は最高に気持ち悪いということに私は気づいた。「この自己嫌悪を自分が真に受けるような精神状態になったら私は終わりなのでは」と危惧した。当時の私は、「自分なんて……」みたいな病み方をしており、自己肯定感が皆無であった。精神状態をマシにするには、まずこれをなんとかしなければならない。だから、とりあえず親を好きになることにした。親を好きになれば自分も好きになれると思ったから。

 親を好きになるハードルは高い。まずは、感謝できるところを探した。そして私は見つけた。それは、「学費を払ってくれている」というところ。もっと美化して言えば、「夢を応援してくれている」ところ。これには純粋に感謝である。ただ、これだけしか見つからなかった。親っぽい感謝できるポイントがなかった。

別にこれは親でなくてもできるのでは?親は出資者と変わらないのでは?

 「親は出資者と何ら変わらない」という事実に気づいた瞬間である。18年間、親は親という概念を信じて疑わなかった私には衝撃であった。血は繋がっていても他人であるという考え方はなんとなく理解していたつもりだったが、出資者と表した途端、かなり冷たく他人であることを突きつけられた気がした。全部自分で至った考えなのに。これがコペルニクス的転回ってコト…?親は他人だ。はっきりそう思えると一気に肩の荷が下りた。親を無理に親として接し、感謝し、好きになる必要はないのだ。あくまでも他人として必要最低限に接していればいいのだ。

 学び続けるにはお金が必要である。もしかしたら、向こう10年は勉強を続けるかもしれない。出資者に助けてもらわなければならない。つまり、出資者がお金を出さなくなったら私の夢は終わりだ。だから、出資者と仲良くしようと思った。上から目線になってしまっているのは百も承知である。気分を害された方は申し訳ない。あんなに/これからもたくさんの学費を負担していることにも気づき、出資者こと親には心の底から感謝できるようになった。

 以上が事の顛末である。親をそのまま親と捉えると上手くいかなかったが、親と私の間を出資者という概念で仕切ると色々許容できるようになったのだ。簡単に言うと、「捉え方次第でこんなにも相手に対する気持ちが変わるのだな」と思ったというお話。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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