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嘉数高台公園  〜地域のオモシロそうなところに行ってみた〜

本日紹介するスポットは、オモシロくはない。このような言葉を使うには語弊が有るかもしれない。ただ、私が興味を持っている、という意味と捉えて貰いたい。



嘉数高台公園は、沖縄県宜野湾市に位置し、第二次世界大戦中は、沖縄県での総司令部の置かれた首里城の北側を守る防衛線であり、日米両軍の激戦となった地だ。

その遺構として、トーチカと呼ばれるコンクリート製の防御拠点も公開されている。


この中に身を潜め、敵軍に向かって砲撃などの攻撃を行うのだが、敵の砲弾により激しく損傷している。自身の真上で爆弾が炸裂する気持ちはどんなものであっただろうか。



また、この公園からは、現在では、世界一市街地に近く、危険な基地であり、民主党の鳩山総理が移転を口にし、首相を退陣させられた普天間基地をよく望むことが出来る。



上の写真でも明らかなように、林を少し隔てて、民家とオスプレイが共存する、本当に不思議な光景を見せつけてくれる。
しかも、私たちが滞在したホンの30分程度の間に、しっかりオスプレイは爆音とともに飛行訓練を行っていた。
兵器が身近に有る、という日常がそこには有った。

かつての大戦中に、この地で亡くなった兵士は、戦争終結から75年経っても、当時の敵国の基地が同じ地にあることを、どのように見つめているだろうか?
現代の市民が望んでいるならば納得してくれるだろうか?では、果たして住民は望んでいるのだろうか?

疑問はいつまでも尽きない。



また、この公園内からは、太平洋戦争中に沖縄の地で亡くなった京都の方々を供養するための「京都の塔」も静かに基地を見つめている。

私がこの塔を素晴らしいと思う理由は種々有るが、最大の理由は下記写真のように、沖縄に住んでいた方々への言及が有るからだ。



実は京都以外にも、全ての都道府県の供養塔が沖縄県には作られている。しかしながら、多くの塔のメッセージは

『戦時中に沖縄で亡くなった○○県の方々に哀悼の意を示す』

という内容のみで、元々の沖縄住民への文字は非常に少ないようだ。
(情報出典:「沖縄戦跡が語る悲惨」真鍋禎男/沖縄文化社)

沖縄戦では、もちろん、本土から沖縄の地に派遣されて、戦死された方々も大変残念で慰霊の念を伝えたい。

が、その本土から派遣された兵隊によって、
「この防空壕は日本軍が使用するので住民は出ていけ」
「アメリカ軍に降伏することは許さない。降伏しようとする者は斬る(降伏した住民から日本軍の情報が漏れるのを恐れていたため)」
と言われたような証言が有ることを考えると、沖縄住民への言及は必須であると思う。

現代でも、沖縄に米軍基地負担が集中しているのは周知の事実だ。
なかなかその現状を沖縄の人々が望むように変えられない実態もある。
が、このような言葉の一つ一つが、沖縄の方に少しでも寄り添うということ、本土の人間も沖縄のことを考えていると少しでも伝えるということなのではないだろうか。

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