ロマンティックMMT−4:ロマン主義的に語らなければならない
「MMTわからない問題」の本質
前回のクイズ、どうだったでしょうか。
別に話のネタは主流の人が「因果推論」の話をしているものならどれでも良かったのです。ぜったい変なことをしているはずだからです。
そして、経済学者が「因果推論」「時系列分析」をやるときに、いつもどのような形でウソついているかということを味わってほしかったのです。
トリックがわかれば簡単、でも、気づかなければずっと気づかない。そういう誤魔化し方を経済学者はいつもやる。そして、本人たちが自分がウソをついていると思っておらず、むしろ「知的に謙虚なつもりになっている」。ここなんです。みんなそうなんです。
なにせ著者はこんな人です。「善人ぽく」と見えますね。おそらく実際に善人なのだと思います。
大阪大学名誉教授。京都大学経済学部卒業、マサチューセッツ工科大学大学院博士課程修了。大阪大学経済学部教授、国際日本文化研究センター所長、青山学院大学大学院特任教授などを歴任。主な著書に、『経済思想』(岩波書店)、『自由と秩序』(中公文庫)、『戦後世界経済史』(中公新書)、『経済学に何ができるか』(中公新書)など。
でも断言します。
当該記事に書かれている「因果推論」は愚かです。
どうしてそうなってしまうのでしょうか。
どうしてそうなるか。それがずっとわからなった。「善人で、勉強家で知識があり、人望がある」。そんな人物がおかしいことを言うのはなぜなのか。
もしかして、じぶんがキチガイなのかな。。。
何度かそう考えましたし、自分の方が根本的に間違っているのかな?とも疑いました。
けれどもMMTに戻ると「やっぱりそんなことはないな、経済学がおかしい」としか思えなくなる。
ほんとうに悩みました。
ヒントになったのは、MMTの「理解されなさ」というのもまた多様だということでした。ある人はJGP、ある人は金利、ある人は会計、ある人はイデオロギー、というように。
全部で引っかかっている人もいれば、一箇所おかしい、というような人もいる。すごくおもしろい、という人がいれば、退屈だという人もいる。
そうなってしまう理由は認識の枠組みにあります。そしてわかりました。みなさん、気づかず善意で上から目線。経済学とは、その「善意の上から目線を徹底的に鍛える学問」になっています。
経済学的な「目線そのもの」が社会を悪くする方向に加担しているのです。
皆さんの目線そのものを「変えていかなければならない」。だから下のような戦略が必要なんです。
この図の説明、けっこう気に入っています。
MMTer が怒る理由とか、変人になってしまう理由、あるいはしばしば絶望する理由をけっこううまく表せているのではないでしょうか。
そして「主流目線の人がMMTを理解できない理由」も「人によってわからないところが異なる」こともです。
ロマンティック戦略
ロマン=大衆のことば。
徹底的に下から目線。
多くの人がその目線に立つようになった時、ようやく世界は変わり始めます。世界は思想で動いているからです。
逆に言えば、目線つまり思想が変わるまで社会は悪くなる一方に「見える」。
でも、やるしかない。
書きましたっけ?
人間が「決して至ることのない理想」に向けてできることをする。うまくいくかはわからない。それがロマン主義運動なのですから。
語り方は論理的なものにしすぎるといけない。論理の全体像は望月さんの本にあるのです。
あとは、手を変え品を変え、強弱を変え、道具を変え、彫刻を彫るように、音楽のように語り続けることなのだろうなと思います。
(前回のクイズ、わかりましたか?? 甲府ちゃん、あなたが正解です。教育とは、当代の生産様式に人間を適応させていく行為です。教育を受ければ受けるほど社会に適応した人間になっていく可能性が高いじゃん。これは、「もともと同じものをあとから因果と呼ぶ」というズルですね。ほんとうに邪悪。)
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