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ロマンティックMMT−16: 大西つねきさんとイデオロギー

 れいわ新選組の党員である大西つねきさんが、問題発言をして物議を醸し、代表の山本太郎さんが謝罪文をアップするという事件がありました。

 人口比率が歪になっていて、若者ための時間(お金でなく)が少なくなっており、もはや命の選別が必要だという論。

 こういうことを言う人はたくさんいますよね。

 「命の選別」なんて、すでに毎日、大々的に実行中。今更何言っているの?ってなります。

 金持ちでない人の実質所得がどんどん減らされ、消費税とかを取られ、生活保護などのハードルは上がり、「死ね」と言われているのとどこが違うのでしょう。

 「若い」人たちも苦しい。介護は負担になっている。だから彼らは開放されるべき。そんな考えが自然に出てくる。

 自分はこの問題、この状況に対して「どのような視点を採るか」だけだと考えます。

イデオロギー、思想の問題です

 同じれいわ新選組からの立候補予定者である大石あきこさんは素早く反応なさっていました。

そして、こう。

 ここに「イデオロギー」という言葉が出てきます。この言葉、この意味で使い始めたのはマルクスである、という話は下のエントリで書きました。


「社会構造が生み出した、支配者側に都合が良い誤った観念形態」。大西さんの発言にはあるイデオロギーが入っていると言っているのです。

 さて、じぶんはこの note で日本にすむ人びとが「視点をひっくり返さなければ」幸せになることはできないという話をしています。それは取りも直さず「支配的なイデオロギーを変える必要がある」ということでもあります。

  下の記事に書いたように、日本社会はとんでもないことになっているので、社会がよくなるためにはいくつもの箇所で視点を変えなければどうしようもない、と考えているわけです。

 大西さんが心に持っていた思想「イデオロギー」もこの内のひとつです。大西さんという方は「政府の支出には金銭的な制約がない」ということをよく理解しておられ、その点においては「視点がひっくり返って」います(政府通貨とかの話はうーん。。。と思いますが)。

 それでも、どのみち、ほとんどの人はある程度「上から目線」を持っている。

 全部をひっくり返すコツはひたすら「徹底的に下から目線」を貫いてみることです。意識的にひっくり返してみる。そうすると世界の見え方が変わります(マルクスという人がやったことはこれです)。

 図でやってみましょう。10本の矢印は寿命を表します。社会の中には不幸にも早く亡くなる方がおられれば、天寿を全うされる方もおられます。

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 この社会を支配者の目線である「上から」捉えると、こう見えます。そうすると高齢者が「邪魔」な存在に見える。

 ほんとにそうなんです。障碍者を始めとした弱者がそういう目で見られることは日常のことです。

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 恐ろしいことですが、「上から目線」だから線引きラインが「見えてしまう」のです。

 次のような考え方が「自然に」生まれます。

「何もできない老人を活かす意味があるのか?」

 「社会資源を他に使えるのでは?」

「若者の労働が介護に取られすぎている。待遇も悪く疲弊している」

 でも、これはいけません。

 社会保障に頼る必要のない大金持ちだけが楽しく長生きできる社会にほんとうになってしまいます。逆に言うと、貧乏人は早く死ねという社会。

 かれらが生き生きと生きることは、政府がやろうと思えばすぐにできることです。だって政府は金持ちたちの株価の暴落にはどんな手段を使っても対応しているのですから。同じことを人びとのためにできるんです。

思想は拡大する

 原因は思想、イデオロギー。

 「たんにみんながそう考える」から、支配層ばかり幸せで庶民ばかりが不幸な社会がいつまでたっても再現される。事態はどんどん悪くなる。

 大石さんのつぶやきにも「再生産」という言葉が出てきました。

 これは「いったん間違った思想が支配的なるとそれは雪だるまのように拡大していく」ということです。

「みんながそう思う」ことによって、それを追認する制度や法律ができていき、そのことによって問題がさらに拡大する。拡大した同じ思想がますます発展して。。。この繰り返しとなって格差は際限な開いていきます。

 100歳以上は助けないという制度ができてしまったら「思想が変わらない限り」次は90歳、80歳となっていくんです。

 消費税も同じですよね。税率3%で始まったものが5になり8になりついに10になった。

 資本への補助金である日銀のETF買いも、年金基金などの株買いも、いつのまにかあわせて100兆円レベルになっている。これも格差を拡大しているじゃないですか。

 だから。思想が変わらない限りこの状況は続くでしょう。もっと悪くなるでしょう。

 そのサイクルが終わるためには、それを打ち消す「逆のイデオロギー」が支配的にならないとどうすることもできません。

下から目線に変える

 この場合、方法そのものは簡単です。視点を「下から目線」にすることを意識すれば絶対に間違えることはないのです。

 やってみましょう。

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 こうやって「言われてみれば」ピンクの線が見えるはずです。 

 上から目線の時に見えていた「横の線」が消えて、「みんなもっと生きられるじゃん!」(財政支出によって)という「縦の線」が普通に見えるのです。

 寿命が来るよりだいぶ前に命を削られている人ばかりであることが。

「お金の問題ではない、若者の時間が問題だ」というのも、実は「お金の問題に他ならないじゃん」ということも。

 「すでに命の選別は派手に実行されている」ということも。

 財政破綻を恐れることをやめれば「介護サービスのレベルを上げ、サービスはほとんど無料にした上で、介護士の報酬を数倍にする」という正解も。需要も供給も増えるのだから、大したインフレになんかなりません。

 これは障碍者支援における「合理的配慮」の考え方と同じです。

 実際に全員に配慮することは簡単なことではありません。

 簡単でないからと言って何もしないで「横の線」を引くことだけは絶対に避けなくてはならなりません。そのことがさらに人を苦しめてしまいます。

反省とか粛清とかではなく

 必要なのは目線を変えることです。「反省」を求めても「線引をやめればいいのかな」くらいにしか、なかなかなりません。

 除名したって問題は解決しません。同じ思想をもった人の所属が変わるだけのこと。たくさんいる「上から目線」の人たちに埋もれるだけのことですよね。

 多くの人の視線が変わるまで、状況が変わることはないのです。


つづく

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