貨幣、エントロピー、MMT
「新しいMMT入門」の第五回!
そろそろ本編に入りつつある感じです。
この「新しいMMT入門」におけるぼくの戦略の柱の一つは、なるべく「貨幣(マネー)」という言葉あるいは概念を使わずにMMTを語ることにあります。
そのあたりの話をしておこうと思います。
「貨幣(マネー)」概念に頼らずにMMTを記述する
「何言っているんだ?、MMTは現代カヘイ理論」でしょう?と思う方がほとんどだと思います。
ぼくとしても、逆張り思考?のようなことをやるつもりではまったくなく、大真面目にです。
たとえば創始者のモズラーは「アカデミックな文脈では」という留保を入れた上で「マネーという言葉は使わない方がいい」と言うんですよね。
あるいはフルワイラー(MMTを推し進めた主役たちの一人)は「究極的にMMTはマネーの話ではない」と論文で書いてたりします(ツイッターでもそう書いていた)。
そしてぼくは、他の分野で似た先例を二つばかり知っていて、ひとつは熱力学における「熱」や「温度」であり、もう一つは資本論における「資本」。
この二つが念頭にあったりします。
エントロピーと「熱力学」
たとえばエントロピーという言葉、聞いたことがあると思います。
理系の人に限らず、かつて日本でも文明問題を扱った「エントロピーの法則」(1982年)という本がかなり売れたらしいですよ。
当時からよくある(らしい)エントロピーの説明は、「乱雑さ」 ・「不規則さ」・ 「曖昧さ」 を表す「量」であると。
なんでそんなものに名前を付けるのだろう?
子供時代、これはぼくには謎でした。
熱力学とエントロピー
大学生になって勉強したのはこの教科書でした(もちろん古い版だったので、今の版がどう書かれているかは知りません。たぶん同じはず)。
そもそも熱力学とは「熱学」と「力学」を統合した学問として出発したものなのです。
「力学」はニュートンによって始まったもので、天体の運動を地上の運動と統一的に説明する理論として登場。
力学とは「力」、「仕事」、「エネルギー」という概念によって特徴づけられる説明の体系だということができるでしょう。
同じように「熱学」体系を特徴づけた概念は「熱」、「熱容量」、「温度」だと言ってよい。
力学と熱学の関係は「仕事」を「温度」に変換するジュール(1778-1850)の実験などで関連付けられていくのですが、サジ・カルノー(1796-1832)とルドルフ・クラジウス(1822-1888)といった科学史に名を残す天才たちによって、ひとつの美しい体系に融合していきます。
そこではエントロピーは「ある系が吸収する熱」を用いて定義される状態関数として定義されます。クラジウスによる最初の定義です。
ぼくが勉強した上のアトキンス本を始めとした、21世紀の熱力学の教科書はこれしかなかったはず。
正直言えば、ぼくにはどうもエントロピーはピンとこなかった。
「熱力学的死」とか、ああいうの?
ところが。
1999年に発表された一本の論文が、エントロピーの見方を一変させることになったのです。
衝撃のリーブ論文(1999年)
思い出深いので画像を載せます。
ぼくがこの論文に到達したのは、第二回で紹介した田崎さんの教科書によってです。
当時田崎さんはこの元になる原稿をWebサイトに公開なさっていて、本より前にそれで知ったように記憶しています。
今では「あたりまえ」のことですが、リーブ論文の画期とは、「熱」という概念を全く使わずにエントロピーの姿を見せてくれたことだったのです。
クラジウスのエントロピーと等価交換原理
ここでは「熱」力学の第二法則が「熱」の概念抜きに語られている!
それってどういうことでしょうか?
そもそもエントロピー「S」はクラジウスによって「熱の変換値と分散度の合計」として定義されました。
しかしその「エントロピー」は、熱学を飛び越えた一般性を持つ量だったということが後から判明してしまったということになる。
(追記… いまの若い人なら初めから統計理論、情報理論としてエントロピーを習うようで。うっせーな\(^o^)/)
クラジウスの思考を追ってみましょうか。
便利なもので、探したらこんなサイトがありました!
ほんとに今初めて読んだのですが、ぼくと同じこと(エントロピーと経済的な等価交換と関連付けること)を考えていてびっくり。
ぼくがいま「新しいMMT入門」でエントロピーの話をする理由(安心してください、今回だけですから)は、永井の文章をご覧になればだいたいわかってもらえそう。
重要そうな部分を引用させていただきます\(^o^)/
そしてこの図!
もう一か所。
そう。
ぼくは、等価交換を原理に据えることでMMTとマルクスの理論を融合させることは容易にできると思っています。
その見地からすると今の経済学で生き残りそうなものがぼくには見当たらない。経済学者は何をして生きていくのだろうと思うくらい。
もっと言えば、この二つの理論(MMTと剰余価値論)は、熱学と力学がそうであるような、同じ統一理論の別の表れ方だとすら思っているんですよね。入門でそこまでは扱えないかもですが。
等価交換をオペレーション単位で記述する
というわけで、ここ「新しいMMT入門」においてぼくは「等価交換をオペレーション単位で記述する」ことを一つの基本に置きます。
これは上のリーブ論文や田崎本にインスパイアされた考え方。
1999年のリープ論文は「熱」を全く考えない代わりに、ある状態Xを、別の状態Yに遷移させるときのオペレーションだけを考えるのです。
田崎の教科書は、同じようにオペレーション、「操作」に注目した記述を一貫させることでとても美しい世界観を構築しています。
MMTの出発点になった Soft Currency Economics という論文が最初に書かれたのは1994年だったそうです。
ここに money という語は結構出てくるのですが、経済学のように「貨幣量」というものを全く考えない、オペレーショナルな記述が論文の特徴をなしています。
のちの Soft Currency Economics II になるともっと洗練されていきます。
ぼくとしては、リーブにインスパイアされた田崎が「熱力学: 現代的な視点から」を書いてくれたのと、ちょうど同じようなことをしたいと考えているというわけ。
詳細は次回以降になりますが、こんな感じで。
まずは一番の基本である財政支出と徴税のオペレーションを表した図のつもりです。
実は第一回を書いた時にはこの表記法は決めておらず、野口旭があのくだらないMMT批判の中でミッチェルらの Macroeconomics から引用していた表の表記をちょっと拡張しただけなんですよね。
この表記法はMMT独自ではなく、マーク・ラヴォアというポストケインジアンあたりが最初のはず。
中央銀行と民間銀行の資産と負債の動きが書かれています。
この「入門」では、中央銀行の左に「政府」の、右に民間の人々つまり「民衆」の、それぞれ資産と負債の動きを書く。
この要領で、下図のような感じで準備してみたというわけ。
「新しいMMT入門」における「貨幣」の扱い
今回の冒頭で「貨幣の概念に頼らない」と書いたのは以上のような事情によります。
ただし、頼らないからといって「貨幣」という言葉を拒否するわけでもない。
それはエントロピーが本質的には「熱」概念を必要とするものではないからといって、わざわざ熱をエントロピーと無関係なものとして扱ったりはしないのと同じです。
それは馬鹿げています。
最後、今回も日銀審議委員の野口旭を引き合いに出します(バカな批判をした彼がわるいんですよ!)が、「政府の赤字財政政策が貨幣供給の自動的拡大をもたらす」というような、なんというか、古臭いというか、根本的に外している思考とはMMTが完全に一線を画すものであることは講座が進むにつれて理解できるようになるはずです。
しかしすごいなあ。。。
\(^o^)/
「政府の赤字財政政策が貨幣供給の自動的拡大をもたらす」
\(^o^)/
貨幣量って何ですか?\(^o^)/
第五回ここまで。
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