見出し画像

第11回 集合論ぽい資本論

資本論-ヘーゲル-MMTを三位一体で語る」の第11回。

 並行している資本論精読(「資本論を nyunとちゃんと読む」)の方も久しぶりに更新したのですが(こちら)、ちょっとした難所でもありまして腰を落とすところです。

 さて、次回さしかかる S. 53における下記の文なのですが、過去の翻訳には英語版を含めて特に物足りなさを感じています。

 まずは引用します。

問題の文

Ein Gebrauchswert oder Gut hat also nur einen Wert, weil abstrakt menschliche Arbeit in ihm vergegenständlicht oder materialisiert ist.

マルクス自身が関わったフランス語版はこう。

et une valeur d'usage, ou un articlequelconque, n'a une valeur qu'autant que du travail humain estmatérialisé en lui.

 以下に不満を覚える翻訳を表にまとめました。

形式的差異:einen の脱訳

 さてわたくしが問題にしているのは、形式的には不定冠詞 einen(英語の a や an に相当)のニュアンスが抜けることです。

ここ↓です。

Ein Gebrauchswert oder Gut hat also nur einen(←これ) Wert, weil abstrakt menschliche Arbeit in ihm vergegenständlicht oder materialisiert ist.

(当然のことですが脱訳自体が問題だと言っているのではなく、ここは翻訳すべき「一つの」という意味ではないかということです)

どうしてほしいか?

ではどうあってほしいのか?それは英文で説明するのが分かりやすいと思われます。上の英訳とニュアンスがだいぶ違ってくるのが伝わるとよいのですが。

試英訳:
One use value or useful article, therefore, has only one value, because human labour in the abstract has been embodied or materialised in it.

試和訳:
このように、ある一つの使用価値または財の価値はただ一つの値を持つ。それはそこに抽象的な人間労働が対象化され、物質化されているからである。

 わたくしがこだわるのはなぜか?

 中学校の数学で関数を学ぶとき、または大学や高校などで写像(mapping)を学ぶときに次ぎようようにやりますね。

「二つの変数 x と y があり、入力 x に対して、出力 y の値をただ一つに決定する規則が与えられているとき変数 y を ”x の関数”と呼ぶ」

 集合論とかの基礎である写像(マップ、マッピング)でも同じような決め事があります(というか関数は写像の仲間でした)。

ワタクシのイメージを図で描くとこういう感じです。

 ここでWikipediaからも写像(マップ)の図を拝借。

 一方、下の図のような関係は「関数」と呼ばないそうです。

Wikipedia「多価関数」より

 と、この図↑を眺めていたら気づきがありました。

 左の集合の要素は数字で、右の集合の要素はアルファベットで表現されていますね。

 資本論で「1クォーターの小麦=aツェントナーの鉄」という例示をしていましたが、これは小麦のクォーター数が「1」と決まったなら、対応する鉄のツェントナー数は「a」に決まるということです。実数の集合の中で、ほかでもないたった一つの「a」が選ばれる。

 つまり。。。

(1量の小麦がaとdに対応してる)
(1量の小麦が対応するのはaだけ

 とマルクスは書いているでしょう?というわけです。

 上の表の翻訳たちは、このことが表現できていないよねという話でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?