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MMTにおける「税が貨幣を動かす」ビューの論理(レイ本の第7章)II、もしくは世界金融危機の予言

 レイ『現代貨幣を理解する:完全雇用と物価安定への鍵』(Understanding Modern Money: The Key to Full Employment and Price Stability)2006年版における、第七章「税が貨幣を動かす」ビューの論理(The Logic of Taxes-Drive-Money View )の個所のゲリラ訳と解題、その二回目。

 十回くらいになりそうなのでマガジンにまとめていこうと思います。

今回の説明

 前回は第七章の6番目の節にあたる、「銀行の発達(develop of banking)」節の冒頭までで終えました。

 今回はその繰り返しも含めて、この第6節だけを読んでいきます。

 そもそもこの章は「税が貨幣を動かすというビュー」を提示する一般モデルの記述であって、個々の歴史的事実をそのままなぞる主旨ではないことを思い出してください。

 だって何しろこの政府はいきなり紙幣を印刷していましたよね。歴史的にはそんなはずはないわけで、それは誰でもわかることだと思うのですが、しかし前回批判した楊枝嗣朗がこのことを読み取れていなかったので、念のため。

 とは言えレイも述べていたように、このモデルは多くの歴史に当てはまりますよねと主張をしているのです。だから読み手の思考が試される。

 また本節はこの章の、従ってモデルの要に位置します。タイトルの通り、ある原理に基づいて銀行がモデルの中で文字通り「発達」します。

物理の分子流体モデル的に考える

 今回これを再読して、強く思ったのが物理や化学の分子モデルとの類似です。

 近代経済学はしばしば「合理的個人」の集合を仮定し、それが批判もされました。マルクスの社会モデルも、やはり近代的な自由で私有財産を持つ個人の集合として考えらています。

 ここにおけるレイのモデルは、自己の利益や蓄積への欲求がまったくない諸個人が想定されていると言えるでしょう。彼らは税によって動かされ、税によって銀行が作られ、巨大なシステムに発達するのです。

 以下今回は、第6節を翻訳しながら段落ごとに自分の注釈を挟みます。

 翻訳に注釈を入れるのは本意ではないのですが、楊枝のような読み方をしてしまう人が実際にいるから。。。というのが理由の一つですが、物理の分子モデルとの比較についてもちょこっと述べてみたく。

 前回の話を振り返ると、そうした利益への欲望のない分子たちが、徴税と政府支出によって「超過の分子たち」と「不足の分子たち」の二極に分裂するさまが表現されていたと言えます。

 二点指摘しておきたいのですが、第一に、この分裂はグラデーションを伴うもので、正規分布のような分裂が想定されている感じです。

図1:nyunが想像する超過の民と不足の民の分布のイメージ

 
 分布の中央値がゼロよりも右になっていますが、これは、さすがに政府は納税義務額を支出額以上にはしないだろうと考えたからですが、当然さまざまなケースを想定することが可能ですよね。

 中央値をどこにイメージするにせよ、このモデルの背後にはこのような正規分布的なイメージがあるようにワタクシには思われます。

 一つ重要なこととして、政府が出現する前の社会には、この分布は世界に存在しないということを指摘しておきましょう。つまり横軸の指標はいわゆる「貧富の差」とはまったく関係がありません。
 つまり、ある分子が財宝や奴隷を所有しているとしても、ドルを持っていなければその分子は「不足の民」側になるんですね。

 ちょっと面白くないですか?

 では、始めましょう。


銀行の発達(develop of banking)

[段落1]

 上記および第3章で仄めかしていたことだが、最初の融資は、納税資金不足の家計に納税手段を提供するための公的融資であったと見られているが、納税負債が民間の貸出を生んでいた可能性もある。収入不足の家計は、不換紙幣の単位建ての負債を発行し、その見返りに収入超過の家計からドルを融資してもらい、納税に充てることができる。 この融資の金利であるが、それは、貸し手側が借り手の債務不履行の可能性を負担し、また貸し手にとってはドルを手放す「不安」を補償するために、国債金利にいくらか上乗せされたものになる(なぜなら、純貯蓄(超過)は、将来の納税義務の支払いを困難にする可能性をはらむ可能性に対しての保護の役割を果たすものであるから)。こうして生まれた不換紙幣(ドル)建ての負債の返済(元本と利息)は、翌年以降に、不換紙幣(ドル)によってなされる。超過家計が不換紙幣および不換紙幣建ての債権を保有する。超過家計もまた政府に対する納税義務を負うのである。つまり、政府から課税される可能性がある。

訳注
 この原理をよく理解しよう。ここにおいて税が「不足の家計」に負債の発行を余儀なくさせている。また、ここにおける金利の設定メカニズムも重要で、ここで銀行家や超過家計は利益や利潤を求めて行動する主体ではなく、税に動かされる主体として記述されており、以降この方針(利益追求主体を登場させない)は一貫している。周知のようにマルクスは、利子を剰余価値の現象形態だと分析したが、その論理ととこのモデルはどのようにかかわるのかをワタクシとしては考えていきたい(余談)。

 ところでワタクシの分子モデル的に考えるとこんな感じだ。

図2:不足家計Xが超過家計Yからドルを借りる’(Before)

 X氏は、納税義務に悩んでいる人なので、結構左の方の人だろう。重要なのはそのような分子が必ず存在するということ。
 Y氏は、結構右の方の人ではないか。そのような分子もおそらく存在するはずである。この分布を想定していれば自然な推論だ。

 では、融資後の二人の位置はどうなるだろうか。
 こんな感じであろう。

図3:融資実行後のX氏およびY氏の位置

 この融資によってX氏が納税義務を果たすのに必要なドルを得たのであれば、ポジションが0に移動したということだ。
 Y氏はどうかと言えば、X氏が右に移動したのとまったく同じだけ、左に移動している。

 さて、次段落では同じ原理に基づいて銀行家が出現することで「銀行」業が始まり発達していく。くどいようだがここの銀行業の目的も利潤の獲得ではなく、必要な税の支払い手段を得るためである。】

[段落2]

 ドルを大量に蓄えた家計は、貸し出しに特化し、資金不足の家計と資金超過の家計を引き合わせる(訳注:銀行業専門になることで納税義務に対処し続けることができるようになる)。ドルの預金を満期を定めで受け入れ、ドルの貸出を満期を定めた形で行い、プラスのスプレッド(貸出金利から預金金利を差し引いたもの)を確保して収入を得る。最初のうちは貸し手はリスクにさらされるが(借り手がデフォルトした場合、貸し手は貸し出しを失う)、やがて「銀行家」は、金利スプレッドを十分高く設定することによってデフォルトリスクを引き受けることができるようになる。この銀行家は次の段階として、要求払い預金を提供する。これは預金者がいつでもドルを引き出せるようにするものだ(訳注:満期を設定しない預金受け入れ)。銀行家は、満期の不一致を調整しつつ金利スプレッドを維持するために、要求払い預金の利息を小さ目に設定する。この時点で、銀行家は予想される引き出しに対応するために十分なドルを準備しておかなければならなくなる。満期が不一致であるため、預金すべてを貸し出すことはできない。部分準備制度の誕生である。

訳注:銀行が仲介する「資金超過の家計」からの預金と「資金不足の家計」への貸し出しの満期が一致しているならば、預金を全額を貸し出すことができ、このとき預金は全額が「準備」されている。対して、満期のない要求払い預金を銀行家が受け入れるようになるとこれはできなくなる。だから「『部分』準備」と呼ぶ。

 さて分子モデルであるが、最初に登場した貸し借りを仲介する銀行家は、分布のどこにいる人だろうか?
 レイの答えはおそらく「どこでも構わない」であろう。このモデルの住民たちにとっても銀行家(B)はどこに居てもいいはずだ。

 図の取引が成立すればよいのだから。

図4:最初の銀行家は「不足の民」かもしれない

 問題は金利だ。銀行家Bは、Xからは金利を受け取り、Yには金利を支払わなけらばならない。だから前者の金利の方が後者の金利よりもかならず大きくなるように設定される。
 銀行家Bのポジションはこの金利の取引によって右にシフトしていく。

 対して、要求払い預金を受け入れる「銀行」はどうだろうか。答えは「必ず超過の民でなけらばならない」。そうでなければ預金者からの引き出し要求に対応することが不可能だからだ。

 次の段落では、同じ原理に基づいて[銀行の銀行業]が興り発達する。】

[段落3]

 部分準備システムの宿命により銀行家には、手持ち資金以上のドルを預金者たちから要求される危険性がある。そこで銀行家は、他の銀行家たちや超過家計たちと連携し、あらかじめ信用枠を取り決めておくことにする。つまりドルが必要な場合には、自分の「資産」(自分が行った融資の引き換えに持っている借用証書)を担保にすることで、互いに一時的に借りられるようにするのだ。このうち比較的大きな銀行は「マネーセンター」として他の小さな諸銀行に準備金の保有を提供することに特化することができる(訳注:家計とは取引しない、いわゆる銀行の銀行になることがができる。ここでも目的は利益ではなく、その業によって税を支払えるようになるのだという説明が貫かれる)。重要なことは、必要な場合に「資産」(訳注:上記の借用証書)との引き換えに準備金を貸し出すとの合意がなされていることである。はじめのうち銀行たちは、現物の政府ドルを使って貸し合うかもしれないが、やばて、ドル建ての銀行券を発行し、それで貸し出せば済むことに気づく。国民はすでに政府ドルを交換に使うことに慣れている。やがて国民は銀行券を紙幣の代用品とみなすようになる。銀行の破綻はめったにあることではなくなっており、銀行券は、銀行が保有するドル準備とドル建て「資産」に裏打ちされている。こうして諸銀行は、政府のドルまたは銀行券を受け入れながら、自行券を「貸し出す」ことができるようになった。かくして民間市場において、銀行券は政府発行のドルと並行して流通することになる。銀行券が受け入れられる理由は、それがドルに両替できるからだけではない。銀行が銀行券を預金として受け入れ(訳注:政府のドルと同じように)、また、貸出の返済(元本及び利息)の支払い方法として受け入れることも銀行券が流通する理由だ。

訳注:はじめは「資金超過の家計」が銀行家となり、政府のドル紙幣を貸すだけだった。融資は「最初の借り手」であった資金不足家計の信用を担保にした貸し出しに始まり、最終的には銀行が、自分自身の信用を担保にした貸出しをするようになった。繰り返しだが、こうした「発達」が、節タイトルの「DEVELOPMENT OF BANKING」の意味である。

 ところで分子モデルで見たときに「マネーセンター」銀行はどのあたりの分子だろうか?

 レイはこう書いている。
『このうち比較的大きな銀行は「マネーセンター」として他の小さな諸銀行に準備金の保有を提供することに特化することができる』
 「比較的大きな銀行」というは、諸銀行の中でも、右の方のポジションにいた銀行であるはずだ。そうでなければ、諸銀行にドルを貸し出すことはできない。

 マネーセンターおよび諸銀行の、ワタクシの最終的な分子イメージはこうである。諸銀行は不足側に陥ることがないようにマネーセンター銀行が中心になって、システムの圏内にいる銀行がすべて超過側にあるようにコントロールされるというわけだ。

図5:マネーセンター銀行のポジションのイメージ

 本文の話に戻って、「ある超過の家計」から「ある不足の家計」への貸し出しで始まった融資の発達が水平的、横方向の発達であるとすれば、次の段落では垂直的、縦方向の発達が記述される。いわば「銀行の銀行の銀行」となるだろう。もちろん利益を目的とした主体は登場しない。】

[段落4]

 同時に、銀行業は別の方向にも広がる。民間市場の取引者は、銀行の「帳簿」上だけで取引を完了することができるようになった。例えば、銀行が一行しかない小さなコミュニティを考えよう。彼らはドルや銀行券を実際に交換することなく「買い手」の預金の数字を減らし「売り手」の預金の数字を増やすことで取引を行うことができる。いわゆる「giro」と呼ばれる取引であるが、預金者たちのために銀行は giro 取引を提供し運営することができる。預金者たちからはは少額の見返り、月額手数料を得る(あるいは、より低い金利を受け入れてもらう)。次の段階は、その銀行の預金者が、他のコミュニティの銀行の預金者に支払いを行えるようにすることだ。これは、支払者が自分のコミュニティの銀行口座に小切手を書くことで、支払先である他のコミュニティの銀行口座に預金がなされるようにすればよい。このためには銀行たちが小切手の清算を仲介する必要がある。この仲介は、各銀行が準備金口座を持っているあの「マネーセンター」銀行を通じて行われることになるだろう。つまりマネーセンター銀行は、小切手が発行された銀行の準備金の数を減らし、支払いを受ける側の銀行の準備金の数を増やすことによって清算を行う。さらに、複数のマネーセンターバンクの間の清算は、「中央清算銀行」で行うことができるようになる。前述したように、マネーセンター銀行たちは、準備金不足の銀行に利子を付けて準備金を貸し出すことができた。「中央清算銀行」たちは、準備金不足のマネーセンター銀行に利子を付けて準備金を貸し出すのである。

訳注:読み取れると思うが、「中央清算銀行」と「マネーセンター銀行」の関係は、「マネーセンター銀行」と「コミュニティ銀行」との関係と同じものであり、「コミュニティ銀行」と「資金超過家計」の関係とも同じである。
 つまり、「中央清算銀行」>「マネーセンター銀行」>「コミュ二ティ銀行」>「資金超過家計」という構図であるが、この構造の全体が税の支払い手段である政府の紙幣を巡って、利益の追求ではなく、システムの安定のために勃興し、発達するのである。
 なお giro の語源は Wikipedia の説明によるとサイクル、循環を意味するギリシャ語の gyros だそうである。

 さて、分子モデルだが「中央清算銀行」まで含めた giro システムを記述するのは面倒なのでここではやめておく。ただ、ドルと銀行券、さらには預金が等価物と見なされるようになったとしても、あらゆる銀行は決して「不足の民」に陥ることは許されないということを指摘するに留める。】

[段落5]

 銀行は共同して、不換紙幣準備金のための銀行間市場を開発することができる。他の銀行への清算のための「流出」に苦しむ銀行があったときには準備金を「還流」できるようにするものだ。準備金超過の銀行が、準備金不足の銀行に対し、準備金を短い期間で貸し出ができるような、短期貸出金利のしくみ(オーバーナイト貸出)が発展する。この際の金利は、政府が不換紙幣を融資する際の金利および、政府が発行する国債金利との相対関係で決まる。銀行はまた、家計に利子のつく預金を提供することで、家計の不換紙幣が手放されるように仕向けることもできる(しかし、前述のように、不換紙幣をため込む欲求はあまり利子に敏感ではないだろう)。

訳注:訳注は不要であろう。この原理はやはり利潤でなく、納税システムの安定だ。しかしここまで来ても段落3の冒頭に書かれた部分預金システムのリスクがなくなったわけではなく、むしろリスクが巨大化していることに注意。そのリスクが顕在化するのが「破壊的な金融危機」である。いわゆるミンスキー・モーメントであるが、この本の初版が書かれたのは1998年であり、この第二版の出版も2006年と、世界金融危機(2007年-2010年)の直前なのである。】

[段落6]

 最終的には、諸銀行の準備金の大部分はマネーセンター銀行の帳簿上の貸方(Credits)に過ぎないものになり、現物のドル紙幣の大部分は中央清算銀行が持っていることになる(それ以外は各銀行が日々の引き出しのために保有する準備のドル紙幣部分)。 こうして準備金は「中央清算銀行」たちに「ピラミッド化」されることになる。 この中央清算銀行は、必要に応じて準備金を貸し出すことで、個々の銀行の取り付けを防ぐことができるだろう。 ただし、システム全体の暴走を阻止する能力は、中央清算銀行が持つドル準備に制限される。政府は何度か破壊的な金融危機を繰り返した後で、「中央清算銀行」たちの機能を引き継ぐ政府中央銀行を設立することがその解決策であると認識する。この政府中央銀行が、国家全体の清算システムを運営しシステム全体の暴走を阻止するために、金融慣行を規制し必要なドルを供給する最後の貸し手として機能するようにするのである。たとえば、最低限必要な準備率を設定することが必要になるかもしれない。また政府中央銀行が、銀行資産(貸出し債権や国債など)に対して準備金を貸し出す「割引窓口」を運営する案もあり得る。ここで、政府運営の中央銀行による融資は、金庫に保管されているドルの量によって制約されることは全くないことに注意せよ。政府はドルの供給者として、いつでも必要なだけドルを作り出すことができたのだった。政府運営の中央銀行がいつでも取り付けを阻止できる一方で、民間の中央清算銀行には阻止できない理由はここにある。

訳注:この銀行の発達(develop of banking)の節、ここまで。圧巻だった思う。くどいが、これは実際の歴史の記述として書かれたものではなくて一般的モデル、しかも動的なモデルであることがわかる。そしてそれがこの現実の歴史に当てはまる。


 以上でこの節は終了。
 次節以降では、ここまでの理解、同じ原理に基づいて金融政策が分析され、政府と中央銀行の役割分けが論じられることになります。

 それでははまた、そのうちに!

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