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今生きていることは当たり前じゃないんだ。

2017年、2月13日。

私の大好きなおじいちゃんが突然亡くなった。

死因は、虚血性心不全で自宅の浴槽で亡くなった。

じいちゃんこと、金じいちゃんは40代で妻を亡くし、83歳まで独身を貫き、子供2人を男一人で育てた。

そんな、金じいちゃんは、私にとって一番の味方であり理解者だった。

父の仕事上、母も自宅にいないこともあり、金じいちゃんと妹とよく留守番したり、遊んだりしていた。

車で色々なところに連れて行ってくれたり、とにかく、金じいちゃんといると「お姉ちゃんとしてしっかりしなきゃ」という気持ちが薄くなり、甘えられる存在だった。

金じいちゃんはとにかく平和主義で、争いごとが嫌いだった。よく夫婦喧嘩の仲裁に入ったり、姉妹喧嘩の仲裁に入ったりしてくれていた。

今思うと、時にはそんな金じいちゃんにひどい言い方をしてしまったこともあった。とても反省している。

23歳の時、仕事がうまくいかなくなり実家に帰ると、何も言っていないのにいつも「何かあったか?」と聞いてくる。

本当にやさしく、そして私のことを一番に理解していた。

そんな金じいちゃんが、皆の金じいちゃんが突然亡くなった。

絶対に長生きして、「死」という言葉が一番遠い存在だと思っていた金じいちゃん。

急いで、実家に帰り金じいちゃんの顔を見た。

「あ、人って本当に亡くなっちゃうんだ。金じいちゃんでも死んじゃうんだ。生きていることって当たり前じゃないんだ」

と23歳を過ぎていたが初めて思った経験だった。

そんな中、実家を唯一離れていた私は、家族の精神面が心配だった。

「このまま心が崩れてしまったらどうしよう」

それほど、金じいしゃんは皆のヒーローだった。

その晩、家族みんなで金じいちゃんと川の字で寝た。

通夜の前の晩、確か深夜2時44分ごろ、ある現象に初めてあった。

今まで霊感があったわけでもない。

どこからか、女の人の声で、「大丈夫だよ、お父さんは全部分かっているから」と言葉を投げかけてくるのだ。

すると、自分たちが川の字で寝ている姿を、真上から自分が見ているという映像が自分の目に飛び込んできた。

そこには、金じいちゃんと、亡くなった奥さん(おばあちゃん)が立っていて寝ている私たちを笑顔で見ているのだ。

おばあちゃんには会ったこともない。

声も聞いたこともない。

けれど朝起きて仏壇の中の写真と全く同じ服装をしていたので確信に変わった。

私は、おばあちゃんに会ったんだと。

そして、

「金じいちゃん、おばあちゃんを愛していたんだね。天国で会えたんだね。」となんだか安心した。

すると亡くなる直前の映像に切り替わった。

金じいちゃんが最後のお風呂へ向かう。

勇気を出して「金じいちゃん、苦しくなかった?幸せだった?」と聞いた。

すると、とても幸せそうなため息をついて、亡くなった。

そして私が大声を出し、現実世界に戻った。

ちょうど、2時44分だった。

すぐさま、お父さんが、金じいちゃんへ手を合わせに行った。

おそらく、父は、日頃からおばあちゃんと対話をしていたのだと思う。

それから3年経った今、それ以来その現象を体験したことは一度もない。

しかしそれ以来、私の中で分かったことがある。

「私は、おばあちゃんの分身なのかもしれない。」

最近になって、父が、「おばあちゃんに背も顔も性格も体格も似てる」と母に言うそうだ。

確かに私の家族は私だけすべて似ていない。

そして、2017年の終わりに子宮頸がんの検査で引っかかってしまい、今定期健診を受けている。

そう、おばあちゃんが亡くなったのも子宮の病気だった。

「今生きていることは当たり前じゃないんだ」

そう大好きな金じいちゃんから学んだ。

とても大きな学びであり自分の考え方を大きく変えた。

金じいちゃんの遺品からは、当時の子育て日記が出てきた。

私のお母さんと同居が始まり、温かいご飯が出てきたことを

「今日、温かいご飯を食べた。おいしかった」と書いていた。

涙が止まらなかった。

きっとすごく苦労したのだと思う。

そして

「絶対にこれからの人生、今を、一生懸命生きてやる。」

そう思った。

今でも時々、主人に口する。

「金じいちゃんに会いたいな」と。

金じいちゃん、ありがとう。

まれい

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