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平井弘『前線』より2首

男の子なるやさしさは紛れなくかしてごらんぼくが殺してあげる

散華

『前線』の「散華」の一首。
有名な歌だが解釈についていろいろあるみたいなので自分のわかる範囲で簡単にまとめた。

解釈の分かれる点として、以下がある。
①登場人物はだれか
②なにを殺すのか

①登場人物はだれか

  1. 大人と男の子
    親子などの大人と男の子と読む場合。
    この場合、「男の子なるやさしさ」は殺せないやさしさとなり、「かしてごらん〜」は大人のセリフとして読める。

  2. 男の子と女の子
    男の子といっしょにいるのは女の子と読む場合。
    この場合、「男の子なるやさしさ」は殺してあげるやさしさとなり、「かしてごらん〜」は男の子のセリフとして読める。

②なにを殺すのか

  1. 動物
    釣った魚、食べるための鶏、危険な蛇などを理由があって殺す場合、あるいは蝶やなにか小動物などを好奇心で殺す場合。
    必要な殺生なら登場人物はどちらのパターンでも読めるし、好奇心のほうは、登場人物は男の子と女の子と読む方が自然に思う。幼いふたりの無邪気な残酷さを感じる。

  2. 人間(戦争)
    戦争で敵国の人間を殺すこと、その役割と読む場合。
    登場人物が大人と男の子の場合、出征した年上の男性たち(※平井の短歌に登場する「兄」)が大人で、男の子は疎開していた平井本人とも読める。
    登場人物が男の子と女の子の場合、男の子は出征した男たち、女の子は戦争において殺す枠割を担わなかった女たちとも読める。

わたしは登場人物は男の子と女の子で、鶏を屠殺する場面をイメージして読んでいたけど、戦争という読みもできることを知っておどろいた。

男の子ならできるはずやさしげに妹のだめにする子がひとり

「遺児」

おまけで他に「男の子」が登場する歌。すみずみまで確認したわけじゃないけど見逃していなければ「男の子」が登場するのはこの2首だけだと思う。
「遺児」は「散華」のひとつ後の章。
前に掲出した歌と響きあうものを感じる。

男の子ならうまくできるはずのことを妹はうまくできなくて台無しにしちゃうということ?「妹のだめにする子がひとり」って不思議な日本語。




闘えという むりなことまだいちど死にうる下腹もつわるびれず

「騒魂」

「騒魂」は好きな歌が多く、『前線』でいちばん好きな連作だった。(戦争で)死んだ者(「兄」)たちの気配を感じる歌が多い。この連作で生者として登場するのは「妹」のみだと思う。たぶん。

「騒魂」のなかでいちばん読み方がわからなくて引っかかった一首について考える。

「闘え」といっているのは戦争での死者たちだろうか。対して、生きている者のことを「まだいちど死にうる」と表現している。

「死ぬことをしいられしなき柔らかき下腹はぐくむ十の戸口よ」(前線)という歌がある。戦争で出征せずに死ぬことを強いられなかった女たちが村のあちこちの家で妊娠しているということだと思う。
掲出歌の「下腹」も同じくイメージで、妊娠できる/妊娠している女の腹のことだと思った。「まだいちど死にうる」は女のことかもしれないし、これから生まれてくる胎児に対して言っているのかもしれない。

男たちが出征して死んでいったのに対し、女たちは前線でたたかうことなく生き延び、次のいのちを育もうとしている。そういうことを歌っているのだろうか。

「わるびれず」という言葉について、わたしは「悪いことしてるのに気にしていない!不遜!」という強い印象を持つんだけど、

半面に痣ある少女悪怯れずよぎりて冬の空気は緊る
/中城ふみ子

『乳房喪失』

この引用歌のように、「本人はそのことを気にしていない」くらいのニュアンスなのかもしれない。

この読みはあってるかわからないし他にも全然違う読み方ができるかもしれない。

平井は遊郭で生まれ育った影響か、女性/女体に対してかなりネガティブな印象があるように思う。女性蔑視といってもいろいろあると思うが、平井の場合は女性を魔女(得体のしれない怖いもの)のようにとらえてる気がする。

平井本人も銃後の側のひとなのに「兄」を見送った責任を「妹」に問う歌が多いように思う。なんでなんだろう。


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