三日坊主は回避出来たのかもしれない
昨夜は眠気が我慢できない状態だったので諦めて寝てしまった。
今日2回更新すれば毎日更新が継続できる…はず。
■まずい
おいしいの反対でまずいという言葉がある。
実のところ自分はこの言葉の意味が良く分からなかったりする。
まあ概念としてあるのは分かるのだけれど、実際に何かものを食べた時に「まずい」って感想になることがあまりないので「まずい」という感覚がよく分からない。
「まずい」というよりかは「味が薄い」とか「香りに癖がある」とか「しょっぱすぎる」とかが一番に思い浮かぶのでそれから繋がる「まずい」という表現にまでいかないことが多いのでいきなり「まずい」という感想にもっていける感覚がよく分からないのだ。(いいところ「おいしくない」まで)
なのでいきなり「まずい」と言われてもどういう理由で「まずい」のかとても気になって物凄くモヤモヤする。
あと、ラーメン店やらで他のおいしい店と比較する際に「まずい」を使用して批評する人がいるけれども、これもいわばどちらも絶対的評価でいえばおいしい物を相対評価するがためにおいしい物であった筈の下に見られたラーメンがいきなり食えた物じゃないものになってしまったようでとてもモヤモヤする。そりゃあそっちの方がおいしいのかもしれないけど、別にこっちが0点って訳でもないだろうに。
とここまでおっさんのモヤモヤする話を書いてきて気付いたのは「おいしい」と言う基準値がこの飽食の時代だとかなり高めに設定されてしまっていて、それ以下全部が「まずい」認定されてしまっているのかなと。まあ飲食業界とかは競争があるのでそういう面があるのは仕方ないのかもしれないけど、なんだかなあと。べつにコレもそれなりにおいしいじゃん、って形にならないのかなーと思う。
■他人に期待しすぎというか考えていないだけか
最近はこんなご時世もあって通勤ラッシュも前ほどではなくなって、とても快適な通勤をさせて貰っている訳ですが、コロナ前は通勤で電車に乗ってターミナル駅で乗り換えすると朝なんかはかなり人が多く、毎朝鍛えられし兵(兵)どもが一斉に大移動する訳で、たまに旅行に行くであろう予定の関係でたまたま朝早くの電車に乗ってしまった方々を震え上がらせていたりして、大変だなーと思ってたり。
で話は変わるのだけれど、乗り換えの際にホームを移動する必要があって、連絡通路からホームに上がる時に階段とエスカレーターがあり、そこのエスカレーターは幅の狭いタイプで1段に一人しか乗れないのだけれど、もう電車がホームに着いているにもかかわらず階段ではなくその狭いエスカレーター(結構な人数が乗っている)に向かう人をかなりの頻度見掛けた。
案の定乗っている人はその来た電車に乗らない人も居る訳で、結局エスカレーターの進む速度でしか上らないのでギリギリか間に合わないこともあり、なかなか進まないのでイライラしているんだけど、なんのこっちゃねんと。
ちょっと考えれば、2列で右から上がれる訳でもないのに何の考えもなしにそっちに行って、挙句の果てには自分の思うように他人が動かないからイライラして、あなたは何がしたいのかと。利害関係も何も無い他人が自分の思うことに従う道理はないというのに。
実際の所自分以外の人もちゃんとそれぞれの意思があってそれぞれの行動をしているんだから、自分の思い通りに動かないことは多々ある訳で、自分の期待通りに動くことを期待してても裏切られるだけ(というかその人が勝手に思っているだけなんだけど)ですよ、と。
まあもうちょっと考えて行動するなり、自分の行動に責任を持てばもっと生きやすくなるののでないかなーと思う。
■最後に
なんか勢いで書いたら伝わりにくかったりちょっと攻撃的になったりしてしまった。
けれどもコレが俺クオリティ。(何故か自慢げ)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?