見出し画像

「真面目」という危険因子

こんにちは、今回は最近僕がとある先輩に自分の盲点を突かれたお話。
自分を追い込みすぎて参ってしまう人に向けて。



----------------キリトリ線----------------




結論、もっと適当でいい。


世間一般的に”真面目”とは良い意味を指し、なるべき理想として描かれがち。僕自身もそういう教育をされて育ってきました。言わば完璧主義亜種的な。

そんな教育を受けて過ごしてきた結果、今現在も”真面目だね”とよく言われます。

遅刻をしないとか、期限にある程度余裕を持ってタスクを終わらせるとかとか(その他諸々)。僕からしたら至極当然、できて当たり前なこと。
逆にできていない人を見ると”何故この程度の事もできないのか”と思ってしまいます。


こんな性格なので、最近ライブを心の底から楽しめなくなっている状態にあるというのも事実。

ライブ後に「めちゃくちゃ楽しかった、上手くできた」と言うメンバー。
それを聞いて「この程度のクオリティでよくそんなことが言えるな」と思う自分。

人それぞれ感じ方が違うからこそ出てきてしまう悩み。
正論を振りかざして価値観を押し付けることは可能だが、それをやり出したら孤立の一途を辿ることは明白。


諸刃の剣

「真面目だから考え込みすぎて、自分で逃げ場なくすタイプだね。」


「もっと適当でいい」をより解像度を上げた言葉。


これこそまさに現在の自分の盲点。真面目という性格の危険因子部分。自分の中では思いついた案はすぐ行動に移せていると思っていましたが、まだまだ振り切れていなかったようです。


思考に時間をかければ、頭の中にあるアイディアはより洗練される一方、思考時間に比例して余計な不安や偏見も生成される可能性も高くなる。失敗した時に「あんなに考えたのに」とすら感じてしまうでしょう。


これこそ諸刃の剣たる由縁。自ら逃げ場をなくしていく様。


「もっと何も考えずにがむしゃらにやってみなさい」とも言われました。思い当たる節がありすぎますね。エスパーか何かですか🧙?


しょうもないことで考え過ぎてない?


このPodcastでここ最近の悩みを一瞬で解決してもらいました👏。流石の一言。このPodcastを聴いたことで、先輩から言われた「もっと適当でいい」をより深く落とし込めました。


僕が考え過ぎてしまう理由は主に「隣の芝は青い理論(造語)」。周りができて自分ができないと、やたら気にしてしまいます。
ライブも同じ。クリックとズレたり、ショットミスで出音が変になったりすると終演後に1人で悶々としてしまっていました。


今ならようやくわかる、マジで無駄な時間だった。

過ぎたことを未練たらたらねちっこくああだこうだ………


後から言ったところで何も変わらないことすら忘れるほどドツボにハマっていましたね。

失敗したなら次失敗しないように、次改善すればいい。
完璧の前に改善。確認したらスパッと切り捨て。

現状の解決法としては、ひとまず思考のプロセスを大幅に短縮させることを意識してみようかと。極端な表現をするなら、「もっと衝動的に、動物的に」。1度思いっきり振り切ってみます。今まで散々考え込んできたので。



----------------キリトリ線----------------


今回も読んでいただきありがとうございました!
それではまた👋。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?