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アサーションについて。

最近わたしの中でブームの言葉。

本業の役に立つかなと思って受けたウェビナー(この言葉もだいぶ耳慣れた。在宅で受けられるありがたみよ)で聞いた。

自分の意見も相手の意見も大事にするという考え、とざっくり理解している。

わたしは自分の意見を述べることが少ない方だと思う。

基本なんでもいいよと相手のしたいようにしてもらう。周りが上手く行っているならそれでいいんじゃないかと思っていたし、そういう距離感で人付き合いをしてきた。結婚したあとも、話をふむふむ聞くサイドにいた。

でも、ちょっと状況が変わった。1年前に、むすめが家族に加わったのだ。

彼女は今現在喋れないので、必然的にわたしが喋るサイドにまわることになる。黙っていてもいいんだろうけど、目にする育児情報にはことごとくたくさん話しかけてあげましょうとあるので喋らないといけない気になる。
苦肉の策で、見えるものをひたすら実況したりしている(洗濯物を干しながら、これはママのタオルだよ、むすめちゃんのお洋服だよ、等々)



彼女が喋るサイドに回る日は遠くないと思う。

ただ、彼女に長時間接する人間のひとりとして、わたしが思っていることとかを伝える機会が多くなると予想される。そのとき、彼女もわたしも過不足なく意見交換ができた方がストレス少なく過ごせる気がする。

自分の意見を大事にするということは、惰性で口から出そうになる「なんでもいい」を一旦置いて、考えて言葉を発すること。
そして相手の意見を大事にするということは、自分の意見で相手をコントロールしようとせず、相手の言葉を受け止めることじゃないかと思う。

只暮らしているだけでもたいへんな事は多々あるので、減らせるストレスは減らしておいた方がいいよね。

そして私自身も、人付き合いについて興味がでてきた(これだけ聞くとおかしな人みがあるかな)ところで。

人と話すとき、たとえばこんなやり方があるよとかこんな考え方もあるよとかいうのは見聞きしたことを言ってもいいかもしれない。
でも、「あなたはそれをどう思うの?」と聞かれたときに、意見がなければ言葉に詰まって話が終わってしまう気がする。

それに今までは、自分の意見を言うことで相手の気分を害したら嫌だとか面倒を避けたいとか、わりと消極的なスタンスだった。そしてだんだん自分が「なくてもいいもの」みたいになって、いざ何か言いたいときに上手く言葉に出来ずモヤる。

でも自分の意見を言うことがプラスに働くこともあると、だんだんわかってきたから。

少しずつでも、自分の意見を大事に出来たら。
ただ受け入れていた相手の意見も、もっと価値あるものに思えるかもしれない。

アサーションができているかの質問項目がたくさんあるので、ときどき振り返って行こうと思っています。

おわり。