「君の名は。」は、目が覚めるとなぜ泣いているのか
エモの研究 その2
前回に引き続き、「悲しみとはなにか」について考えつつ、『君の名は。』の涙について絵解きをしてみます。
まず、悲しみとは「切実な物事が失われたときに感じる感情」というのが僕がたどり着いた仮説です。
で、この「物事を失う」っていうのは、実はけっこう深いんです。
これをもう少し正確な書き方をすると、
悲しみとは「モノ·コトへの期待値に対する負のフィードバック」となります。
なんかめんどくさいこと言い出した感じがしますが、続けます。
買ったばかりのソフトクリームを落としたら
たとえばいま、あなたの右手の中に、ソフトクリームがある。
口に入れようとした瞬間、なにかのはずみで地べたに落としてしまった……
悲しい!
さらにそのソフトクリームが、なけなしのお小遣いで買ったソフトクリームだったら。
暑い夏の日に行列に並んでやっとありつけたものだったら。
誰かを喜ばせようとして買ったものだったら。
これらが、ソフトクリームというモノにまつわるコトです。
同じモノでも、コトの次第によっては、悲しみは深い。このようにあらゆるモノの喪失に、コトがつきまとうわけです。
失うとはなにか
さらに「失う」というのは、よく考えると曖昧です。
自分のものが減ったらなんでも悲しいのか。
たとえば、体重が5kg減った。
かなしく…ないですよね。多くの人がうれしいに違いない。
それは、もっと減っていてもよいと思っていたから。
つまり、対象のモノに対して自分が何を期待しているか、が重要になってきます。
だから「体重を失う」とはあんまり言わないですよね。
失うって、減るとは明らかに違うニュアンスを含んでいるってことです。
では、アイスに何を期待するか?
「冷たいの」が期待だったら、溶けただけで悲しい。
でも、「甘いの」が期待だったら、溶けてちゃっても悲しくないけど、酸っぱいアイスだったら、買うの間違った! 甘いの食べたかったのに〜としょんぼりしますよね。
だから、正確に書くと、
「モノ·コトへの期待値に対する負のフィードバック」というになります。
●「君の名は。」の冒頭で主人公たちはなぜ泣いているのか
ここらで具体的な悲しみの絵解きをしてみます。
映画「君の名は。」の冒頭は、主人公ふたりのモノローグから始まります。
朝、目が覚めると、なぜか泣いている。
そういうことが、時々ある。
見ていたはずの夢は、いつも思い出せない。
ただ、なにかが消えてしまったという感覚だけが、目覚めてからも長く残る。
もうのっけから、いきなり泣いている。(エモい!
主人公の男女ふたりは、なぜ悲しいのかを、自覚していない。
物語を通して、この悲しみの理由を探していくことになります。
この悲しみの理由は、
「運命の人(片割れ)にまだ出会ってないから」
です。
つまり、彼らの期待する状態は、運命の人と出会い互いに愛し合っている状態です。
だから瀧くんと三葉は、夢の中で、無意識で、心の奥底で、この世界のどこかに運命の人がいるはずなのに、まだ出会えていないことを、その欠落を感じて涙を流しています。
つまり、その欠落が悲しみです。
ふたりでひとつのはずなのに、目覚めるとひとりぼっちでいる。
予め失われた状態なので悲しいのです(遠い目)。
次は、悲しみの定義の悪用についてなど考えてみます。
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