カラオケとHジェネ祭り

夜を叫びたくなって、おもむろに細田をカラオケに誘ったら星野も連れてきてくれた。ご飯も挟まずに、お酒も(あんまり)入れずにただただカラオケに勤しんだ。

とても楽しそう
実に楽しそう



星野は元来あまりカラオケに勤しまないというが、お二人にお供して楽しみますと言ってくれた。
あまりカラオケを得意にしてない後輩を連れ出してまで歌広場に駆け込むのも恐れ多かったが、そんなんは良いからとにもかくにもカラオケに行きたかった。結果的にとても良かった。

心がどうなっていたらそうなんのか分かんないけど、星野の3月9日に泣きそうになってしまった。細田のGLIM SPANKYにも泣きそうになってしまった。
僕も負けじと日食なつこを入れて2人にさめざめと泣いてもらおうと思ったが、結果的に僕が泣きそうになってしまった。
泣きそうになればなるだけ、ようし頑張るぞという火が灯ってともかく良かった。ホカホカの心と体を携えて散歩して帰った。3駅分くらい歩いて3駅分くらい電車に乗った。湯冷めせぬよう、程よくホカホカ歩かせてもらった。



高校3年生の夏、本来ならばゴリゴリ受験勉強をしなければならなかったが、深夜にやっていた「Hジェネ祭り」という18歳以下のアーティストが音楽で競う番組をたまたま毎週見ていた。「受験あるのによくそんなテレビ見てられるね」と姉者に詰められたのをよく覚えている。めちゃめちゃ反発したのも覚えている。そう反発してまでも、どうしても毎週欠かさず見たかったらしい。

そのHジェネ祭りで決勝に上がっていた、当時高校3年生で同い年の日食なつこさんがめっちゃかっこよかった。ガシガシ力強いピアノと歌で、しかも大人びていて渋い歌詞を聴かせるスタイルがとてもかっこよかった。「よく辞書を引くし、歌詞にもこだわってる」みたいなインタビューもかっこよかった。
というかそこに出ていた人たち、同い年やちょっと年下の人たちみんながかっこよかった。こんなにもかっこいいんじゃ、(リコーダーしか吹いたことないくせに)僕がバンドマンになるにはもう手遅れなのか…などと思ったものだった。
実際手遅れもクソもなく本気ならすぐにでもなんかしらか始めたら良かったろうが、腑抜けた高校生なりに「まあ僕はお笑いだな」とか思っていた。同じ高校の一個下にはGパンパンダがいて、大島育宙がいて、そういうのもあったから「まあ僕はお笑いだな」と思った。
別に人生の方向性まで決めてたわけではないけれども、その時テレビの向こうの同級生バンドマンがあまりにもかっこよかったから、「まあ僕はお笑いだな」と無理から意地にならないといけなかった。それくらいかっこよかった。

そこから1年おきぐらいに、当時の決勝メンバーをふと気になって調べたりすると、みんながみんなプロとして突き進んでるわけではないということが分かって複雑な感情になったものだった。審査員特別賞に選ばれたtistaというバンドにもとても、とてもとてもときめいていた。そのボーカルの竹縄さんは後ほどHOWL BE QUIETというバンドを結成していて、そして先日、今年に入ってほんのついぞ先日、解散してしまった。
みんなが人生を進めている。

僕ももうそこそこの年齢になってきて、ちょっとだけ明るい未来のことを想像して(なにせ勢いがあるからな、とはいえ全然暗い夜もあるが、こらこら、そんな補足をしなや)、あの時テレビの向こうでめっちゃかっこよかった人たち、例えば日食なつこさんに仕事で会えたりしないかなァ?と勝手に思ったりするけど、僕の活躍如何に関わらずもう会えない人には会えないんだなァとしみじみ思う。
それぞれの人生が進んでいる。



誰かに会いたい、野望とかちょっとした願望とかを叶えていくことも視野に入れて良いかもしれない。もっともっと頑張った先のご褒美みたいなこともあるかもしれないし、意外にちょっとした拍子にあっさり叶うようなこともあるかもしれない。
人知れずときめいていた色んな人に会ってみたいとも思うし、僕が知らずのうちにときめかせていた誰か、若人、そういう人に会って「いやはや恥ずかしいね」みたいなことをほざく未来があっても良いと思う。

あなたの素敵サポートが、僕を素敵クリエイティブにします。