見出し画像

ボット先生  【第30話/全35話】

 さて、どこに行こうかな。
 そろそろ日が暮れる。どこかに行かなきゃならないんだけど、どこにも行く当てがない。三浦って、寂しいな。五月に遠足で来たときは、楽しかったんだけど。砂浜があって、海がある。その向こうには房総半島。ぼんやり靄がかかっている。あののこぎりみたいな山は、そのまんま『鋸山』というんだそうだ。
 何で、こんなところに来ちまったんだろう。まあ、他に行くところがなかったからね。ボクは、おとなしくウーちゃんの踏み台になった。ウーちゃんは、はじめからボクに気づいていたんだ。彼女は観客から称賛を浴びた。サインを求めたり、花束やお菓子を渡したりしている客もいた。その一人一人と握手したり、言葉を交わしたりしながら、チラッとボクを見た。ほんの一瞬、チラリ、って感じだ。ああ、あの、何とも言えない笑顔。
 あの顔を見たとき、ボクは消えようと決心したんだ。
 ショーは終わったけど食事は続いた。お母さんは本村さんと何やら深刻な顔つきで話し込み、叔父さんは、スマホを弄りながら一人で寿司をつまんでいた。ボクは席を立ってトイレに行こうとした。
「アナタ、カバンは置いて行ったらいいじゃないの」
お母さんに言われた。ボクはリュックを背負っていた。背中に残っていたウーちゃんの手のひらの感覚がイヤで、椅子の掛けたとき肩紐に腕を通した。「え?」と言い返すと、お母さんは「まあ、いいわ」と視線を外し、また本村さんと話を続けた。
 トイレはどこだろう? ボクはレストランを出て、エレベーター前の廊下まできた。ちょうど、下りが扉を開けた。乗り込んだ。一階で下りた。
 みなとみらいって、歩きにくい。地面が固いからだ。埋め立て地だから、アスファルトの下がコンクリートで、弾力がない。歩けば歩くほど、足が痛くなる。ボクは、なるべく人が多くて、ごちゃごちゃしている方を目指した。そうすれば、却って人に見つからない。小学生が一人で歩いていても、誰も気にしない。桜木町駅を通り抜けて地下道へ。エスカレーターで上がって、商店街に出る。そこから真っ直ぐ、用事があって急いでいるみたいに、わき目を振らずに歩く。いくつか横断歩道を渡ると、また駅があった。京浜急行だ。
 家出しよう。もう、帰らない。今までは、ボクとお母さんの、二人きりの家族だった。これからは、お母さんには本村さんがいる。叔父さんは、もともと一人きりだ。ボクも、一人きりになればいい。ボクはパスモで改札を通った。五百円ちょっとしか入ってなかった。行かれるところまで、と思ってきたのが三浦海岸だ。ボクは駅から海に向かった。浜辺に降りて、波打ち際をしばらく歩いた。途中、ポケットからスマホを出して、横投げで海へ投げた。スマホはくるくると回って飛び、水面に落ちて一度跳ねた。そして沈んだ。
 津久井浜の駅は、一つしかない出入り口に、自動改札が二つしかない小さな駅だった。まるで駅じゃないみたいに人がいなかった。駅員さんはいた。若い、頬の赤らんだ、紺のドゴール帽を被った男の人が、券売機の脇の小窓からチラッと顔を見せた。ボクの方を見て、すぐに顔を引っ込めた。駅員って、暇そうだな。
 駅前のベンチに腰かけていると日が暮れた。行くところがない。お金もない。ベンチの脇の自動販売機だけが、やたら明るかった。
 結局、ボクって何なんだろう? ケンタは、アメリカで勉強すると言った。マミちゃんは、イギリスで絵本を書きたいと言った。ウーちゃんは、大道芸のスターだ。ボクは、何? 波多野君みたいにはみ出ることもできないし、キムラ君みたいに、勉強でトップを取ることもできない。ボクは、何でもない。何もできない。こんな人間、生きていたって仕方ないんじゃないんだろうか。
 生まれて来なかった方が、よかったんじゃないだろうか?
 肩にそっと手を乗せられて、ボクは顔を上げた。禿げた頭。四時四〇分みたいなひげ。
 マーさんだ。
「行こうか」
マーさんはにっこり笑って、帽子越しにボクの頭を撫でた。
 YTSか。
 結局、家族に捨てられたボクは、YTS以外に行くところがないんだろうか。里親って、どんな人だろう? 怖い人だとイヤだな。子どもを買うくらいだからお金のある人なんだろうけども、そのお金をボクがもらえるわけじゃないし、お金があることを鼻にかけて、威張っている人だったら余計悪い。行ってから気づいても、外国からじゃ逃げてくることもできない。
 行きたくない。でも、ボクはもう、疲れたよ。マーさんから逃げる気もしない。家に帰るのはまっぴらだし、第一電車代がもうない。かといって、行くところもない。
 ああ、消えてなくなりたい。
 マーさんは、スマホで顔を照らした。盛り上がった頬や厚い唇、膨らんだ鼻。ボクはゾッとなった。マーさんの顔が、暗闇に浮かぶ妖怪に見えた。
 そのとき、ふいに、「喉、乾いたろ?」と言って、駅員さんがボクにペットボトルのウーロン茶を渡した。
 ボクはそれを受け取った。駅員さんは、マーさんを見た。マーさんは咳払いして、駅員さんを睨み返したけど、すぐに、なんだかバツが悪そうに視線を泳がせた。駅員さんは、「知ってる人?」とボクに尋ねた。マーさんは何か言おうとしたけど、「知りません」とボクははっきり答えた。
 マーさんは、不服げにぶつぶつ言いながら、国道の方へ歩いて行った。


ボット先生  【第31話/全35話】|nkd34 (note.com)

#創作大賞2024 #ファンタジー小説部門

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?