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加古川の思い出:日岡山

このまま一旦高校、大学、実業団、指導者と進んでしまおうかとも思ったのですが、やっぱり今書きたいのはこっちだなと思い中学縛りでいきます(笑)

なんの縛りかと言えばこちら。

上のように思ったのはこのツイートしたからです

地域の歴史と絡めると思い浮かぶ場所があったんですよね。それがこの


日岡山

山と言ってもそんなに高くはありません。精々ちょっち小高い丘程度。地名の由来も下記の古墳が関係しているとも?

実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「日岡陵(ひのおかのみささぎ)」として第12代景行天皇皇后の播磨稲日大郎姫命(はりまのいなびのおおいらつめのみこと)の陵に治定されている。名称は「日岡御陵(ひおかごりょう)」や「褶墓(ひれはか、ひれ墓)」とも。wikipedhiaより

中学校の頃はよくこの日岡山で、今でいうクロカン練習を行っていました。中学生にしては結構アップダウンがあったんですよね。

ここには日岡神社や上述の古墳もあり、凄く好きな場所です。

加古川に古墳ですよ?そう関西にはこういう古墳や史跡は多いんですよね。でもこの古墳、色々説があるんですよ。調べてみると凄く興味深いですよ!

ちなみにここで昔「加古川ロードレース」だったと思うのですが、やっていて。確か優勝か2位だったかは忘れましたが、上位に入ったんですよ。

それまで小学校から陸上をやっていて物凄く速かった子に勝てたんですよね。ここが自分に少し自信が持てた原点にもなっています。もちろん、ここでのトレーニングも誰よりタフに出来ていたので自信になっていました。

そういう意味では凄く有難い地です。感謝しなければ・・・


★★★

今は整備計画も進行中のようです。興味がある人は下記もご覧頂ければ「日岡」と「加古川」の関係や「播磨国」が解ってくるかもしれません。




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