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詩/エッセイ/徒然 note

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徒然に、思い浮かんだことを書き留めています。twitterとは違う感覚で。
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#トレーニング

疲労感って、報われていけば少しは軽減される「心的」なものもあるし、積もりに積もって地層のように重なって取れにくいものまでいろいろとある。 年齢を重ねると誰しもが感じるものかもしれないし、そうではなく環境や状況によって起きていることも。主観的なものだからこそ注意しておきたい部分。

一週間もあればものすごく進化することも、処理できることもあるし、一方で滞ること、残っていくものも表面には見えなくても積もっていくもの。 特に濃い一週間を過ごしたら、それらを強く実感します。皆さんにとってこの一週間はいかがでしたか?

最初は恐る恐るであっても、だんだん馴れてくるとタフに乗り越えられるようになる。悪い意味で鈍感すぎても良くないが、ある程度は鈍感になっていかないとスムーズに動かない、負担感が小さくならないままだったりする。 その辺のバランスが働く人になっていけるのが良いですね。

意志が弱いと・・・

一度、遠ざかってしまうとなかなか元に戻らないことがあります。スイッチがオフになってしまうことは不思議なもので、コントロールできるならそれが一番ですが、そのようにうまくはいかないことが多々あります。 なんとかしたいものですが、そう簡単にはいかないのも、また経験上確かでしょう。 そうならばやはり、そういった不思議なものに左右されないように、中庸な姿勢を保ち、普段から着実に積み重ねていく動きを続けるしかないように思います。 この辺りはいろんな本もありますし、いろんなnoteも

水面下での作業や準備、後始末は目につきにくいですが、そうした部分を丁寧に、しっかりと固めていく、創り上げていくことで表層の部分が大きくなったり、輝くものになったり、維持、継続できるものになると思います。 そういった水面下、裏方も大いにクリエイティブを発揮するチャンスがある。

短時間で効率よく、インパクトの高いアウトプットを出そうとするなら、実際はかなりレベルの高いインプット、仕込みや準備が必要ですよね。 目に見えるアウトプットに関するリソースだけを評価、見積もると「ずれ」が非常に大きくなる。 正確に、見えない部分も見積もれるようにしたいところ。

疲れ切るまでやることが本当に美徳なのか

徹底的に物事を突き詰め、取り組むことは確かに凄いし、話題にも美談にもなるのはよく分かるのですが、一方でそのストイックさが本当に効率の良さに繋がるか、ベストな方法かはよく考える必要があります。 トップアスリートやクリエイターの練習量、アウトプットが多すぎて「量が全てではない」という発言が出てきた場合と、その領域に全く達していない状態での、ちょっと言い訳めいた「量が全てではない」では同じ言葉でも全く意味も中身も違うので、そこはもっとストイックに取り組んだほうが良いのでは?という

直接、間接を問わず、良好なアウトプットを出そうとするなら相応のインプットや仕込み、準備が必要。 プロフェッショナルとして評価されるよう目指すなら、環境を求めたり、レベルアップやアップデートを欠かさずに取り組み続けたいところ。 大いに学び、スキルアップしよう。

馴れるためにも「1万の法則」を意識しておく。ぜんぜん簡単ではないけど、そこまでいけば自信も自負も持てるとは思いますよね。 毎日、取り組み続け3年間で達しようと思えば1日10という数字、ペースが浮かぶ。目標や計画を立てる際にベースに置いてみるのも面白いと思います。

今日の集中力は良かった。そんな日、そんな時はありますよね。 偶然ではなく必然の要因がわかれば、いつでも再現できて良いのですが。 そうそう要因が分からないことも多いのが人間の不思議。 だからこそ、創作でも仕事でも、勉強やスポーツも面白い部分かもしれませんね。

良くなっている実感はある

何事もそうですが、仕事でも生活でも勉強でも何かしら、良くなっている実感がないとしんどいですよね。 明確な成果が出ていれば、より良いですし、ふわっとしたものでも少なくとも自分は成長している感触がつかめていれば前向きにやっていけると思います。一番しんどいのは、結果だけでなく、何の手応えもなかったり、感触もつかめなかったりする時です。 音声入力もそうですが、時折、きちんと話したことが反映されていないことがあります。せっかく話したのに、何も残っていない。それは結構しんどいですよね

ほんのちょっとから変えていく

ほんのちょっと、たった1歩でも良いから進めてみる。前進する。もちろん、多くを進めていければ良いし、たくさん積み上げていきたいけれど。 なかなか思うように行かないときは。進めたいけれど、それだけのエネルギーやリソースが確保できなさそうならば。 チャレンジそのものを止めてしまうのではなく、細々とでもやれるなら、目標達成を諦めないなら続けていくことが大切になりますよね。 noteを毎日、書き続けていくことは簡単なようでそうでない時もあります。 中途半端になるくらいなら止める

多分、思い通りに、楽に結果が出せるということはないと思うんですよね

魔法のように、簡単に結果が出せたり、夢や目標が叶ったりすれば良いですが、おそらくまずそんなことは起きないわけで。強運の持ち主も居るとは思いますが、やはりすべからくその運を活かす行動を取っていると思うんですよね。 そうでないと、その強運もチャンスを掴みきれないし、モノにはできない、活かせないと思います。強運で手にしたチャンスなどによってかえって身を滅ぼすことも歴史上では幾らでも繰り返されていますもんね。 最近は厚底シューズの恩恵と言われるように非常にランニングの記録がインフ

既にゴールは見えている

人生の行き道は、目標や夢を求める中で歩まれるものだと思います。どんな道も、それぞれに夢や目標があり、その中で「既にゴールは見えている」と考えて歩むことは深い意味が込められていると考えられます。 目標に向かって進む中で、成功の兆しや達成感が既に感じられている状態は肯定感にも繋がり、大きな意味や価値、モチベーションになると考えます。 既にゴールは見えていると感じる瞬間は、目標に向けて着実に進んでいる時ですよね。順調であれば、そこにゴールがあることを疑うことはないでしょうし、こ