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詩/エッセイ/徒然 note

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徒然に、思い浮かんだことを書き留めています。twitterとは違う感覚で。
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#マインド

ある意味、何もわからない「であろう」期間は強みでもある。周りからそう見られているのは低評価のようで、なんとか上昇させたい気持ちも解るけど。 一方で、そういう状況だからこそ、質問したり、相談したり、お願いもしやすい。ある意味ではボーナスタイムにも出来る。要は考え方次第ですね。

「足りなかった」ことを悔やむ暇はない

足りないと感じることは常態的に起こり得ることで、これは目標が高かったり、設定が高ければ当たり前のように存在します。 極端な話、常に満ち足りていると感じている場合は、目標や設定への余地が少なく、満足度が高い分、安定し、気分的には楽ではあるでしょうけど、伸びしろが少ないとも言えないことはないです。 メンタル面で考えると必ずしもストイックが良いわけではありませんし、いつもいつも足りないと考えるのは健全とも言えない部分があるので注意が必要ですが、足りないと感じること、現状に満足し

意志が弱いと・・・

一度、遠ざかってしまうとなかなか元に戻らないことがあります。スイッチがオフになってしまうことは不思議なもので、コントロールできるならそれが一番ですが、そのようにうまくはいかないことが多々あります。 なんとかしたいものですが、そう簡単にはいかないのも、また経験上確かでしょう。 そうならばやはり、そういった不思議なものに左右されないように、中庸な姿勢を保ち、普段から着実に積み重ねていく動きを続けるしかないように思います。 この辺りはいろんな本もありますし、いろんなnoteも

本業が何か、が重要なわけではなく

時折、「そろそろ本業に力を注がねば」といった言い回しや投稿を今も見かけることがありますし、自分の中でもそう言った言葉が浮かぶことはあります。しかし、むしろ今の時代に「本業」って何なのかを考えると、もう古い表現になったかな、あまり必要ない考え方かなとも思います。 この複業時代において、様々なことに取り掛かっていく、能力を伸ばしたり、参画したりしていく時代に「本業」という考え方を持ってしまうと、あまりうまくいかないかもしれません。 むしろ、本業よりは「専門」という考え方で、専

勢いを失うと一瞬で止まる

ちょっと前に勢いがあるうちにどんどん進めていこう、というような主旨でnoteを書きました。その時はなんとなく勢いが付いていた感じがしたので、そういったnoteを書くことができたのですが、今度はそこに一気にブレーキが掛かったように勢いを失った感があります。 ここまで僅か2,3日だったかもしれません。 あっという間の出来事で、体調の変化か、状況の変化かは分かりませんが、はたまたちょっとした気分のノリ、1日のバイオリズムかもしれませんが、とにかく「今」、この瞬間、パソコンに向き

「マネジメント」 危機を煽って人を動かす方法は割りと一般的によく見られ、確かにかなり有効ではありますが、一方でその手法が常態化したマネジャーや組織、コミュニティはギスギスした、相互の信頼関係が築きにくいものになっていくような気がします。 効果も大事だけど、影響も考えよう。

「覚悟」という話しかどうかは分からないけど、経営者がその事業に一番思い入れがある訳だから、厳しいなら尚更、手数を増やし、可能性を押し広げようとするのは当然の帰結だと思う。 熱意を持って堂々と行動し、振る舞っていると迫力も熱意も小手先じゃない何かが伝わってくる。届くと思う。

とりあえず貪欲さを持ってみれば

2023年に入り、大量のネタを見つけることができて、むしろ公開するための調整が必要なくらいの時期もあったのですが、いつの間にか徐々にストックが減ってきて、未着手のものが多くなり、若干ながら余裕がなくなってきました。 この先、このペースを続けるのは難しいかなと思うところもありますが、一方で追い込まれて力を発揮するわけではないですが、余裕がなくなってからむしろネタが思い浮かんだり、効率よくnoteを作っていく、アイディアが浮かんだり、仕組みをアップデートしたりすることができ、も

ストレッサーと対処法

そのことそのものがストレスの場合もありますが、ちょっと深掘りして考えてみると、意外とそれ全体がストレッサーではない場合もあります。欲張りすぎず、詰め込みすぎず、無理なく着手したり、肩の力を抜いて取り組んだり、義務感ではなくチャレンジ精神でトライすることも大切です。 ちょっとした意識の持ちよう、考え方で大きく違ってきたりします。ストレッサーも同じで、引っかかる要因がほんの些細なことでも、確かにストレスは大きくなりますし、それ全体が嫌になることも理解できますが、一方でその要因を

1年ってこんなに短かったっけ?

いろいろな活動を行い、また過去のnoteなどを振り返っていると、ふと気付いた時にはあれこれはもう1年前の出来事かと思うことは多々あります。 この数年、本当にいろんなことがありましたが、加古川に引っ越してきてからのこの四年間は、本当にいろんなことがありました。でもその中でもこの1年はさらに内容が濃いということもあり、当然ながら多くのことを記憶しています。 逆に新しいことが多すぎて、過去の記憶が薄れてくる部分もあります。そういったところでもnoteに色々と書いてきて蓄積され、

相当なエネルギーをかけないと、簡単には引き継げない

今、神屋は加古川に引っ越して5年が経ちました。自分たちでも事業をしたり、コミュニティを立ち上げたり、様々な活動に参加させていただいていますが、その中で感じることは引き継いでいくことの難しさです。 理想としては、先人たちが築き上げてきた財産をしっかりと引き継ぎ、次代へ残していくこと。また変化の激しい時代でもあるし、現状と次代に適応するために良いものは改善し、時代に応じてアップデートしていく。そういった形で引き継いでいけることが一番の目指すものだと思いますが、一方で、組織や活動

やっぱり回復次第で行動量と効率は変わってくる

意欲はどうしてもわかない。気力や体力が足りない。ミスが増える。抜け漏れが起きる。なんか最近、調子が悪いなと感じている時にやっぱり見返すべきは疲れてるかどうかだったり、今の回復状態がどうなのか、コンディションはどうなのかだと思います。 その辺りを棚上げしてどうにか効率を上げよう、自分はどうして駄目なのかと悩んでいても仕方がありませんよね。考えれば考えるほどむしろどつぼにはまる訳で、スポーツで言えばスランプに陥りかねませんし、囲碁などでも悪いスパイラルにはまっていくパターンは

見えにくいところのエネルギー消費と配分も考慮しておきたい

見えにくい部分のコストについて話すと、ある程度の想像はつくかと思います。目の前の人・モノ・カネのリソースや、時間を使う場合やエネルギーを消費する場合などは、イメージしやすく実感もしやすいです。したがって、これらの部分はコスト計算やタスクの立案においても扱いやすいです。一方で、見えにくい要素を正確に計算し、スケジュールに組み込むのは難しく、共有や共通理解を生み出すことも難しいです。 自分自身のことでも、見えにくいコストを把握するのは難しいことですが、他人のコストを把握するのは

思い通り、予定通りにいかないことは考慮しておきたい

物事が決まって行かない。そういったことは日常的にあることですが、だからといって簡単に許容できることではなく、やきもきするし、不安があったり、スケジュールを決定できないなど、不確定要素が多くなり落ち着かないことも多いです。 仕方がない部分もありますが、やはり大きな事を成そうとするならば、物事をしっかりと構築するならば、早めに環境やリソースを用意し、決定づけ、しっかりと遂行していく流れを作り出したいものです。 それらは固定的な安定というものでなくても、大きな変化がある中で