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詩/エッセイ/徒然 note

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徒然に、思い浮かんだことを書き留めています。twitterとは違う感覚で。
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2018年4月の記事一覧

「待つ力」 それが無くなってくると非常に短気で、短絡的で、相手にもとにかく早く真相を教えてくれ! という自分勝手な心情に陥ることになる。ちゃんと待とうよ。待つべき時は。 解決法は読書。特にミステリー。 「答え」から見てもつまらない。順を追って読まないと。 noteも良いよ!

わくわく力

本当は「ワクワク力」としたかったのですが、なんだか解らない(笑)「ワクワクリョク」ともしてみたのですが、読み仮名を振っただけみたいで・・・結局今回のタイトルはこうなりました。 タイトルを決めるのも一苦労、と言ってしまえばそれで終わりですが、このタイトルからどう読まれるかな?どんな印象になるかな?興味を惹けるとしたらどれかな? そういう感じで考えれば「わくわく」しませんか? ★ 楽しむ心。面白がる。興味を持つ。好奇心・・・様々な言葉が思い浮かびますが、要は心の動きがあっ

一敵去ってまた一敵

みなさんは花粉症終わりましたか?元々なっていない人は羨ましいです(笑)終わった人もお疲れ様でした。でもちょっとだけ羨ましいです。 まだまだ終わらない人は仲間ですね! 実は花粉症に苦しんでいる人はとっくにお判りでしょうけど、所謂スギ花粉だけが花粉症を引き起こすわけではありません。 スギ→ヒノキ→稲→ヨモギやぶたくさなど花粉症を引き起こすものは意外に多くあります。もちろん「アレルギー」全般になると無数にありますが、少なくとも現在はヒノキがまだまだしぶとく闊歩しています。。。

久しぶりの・・・

この言葉が付いた何かをやる時、やっぱり緊張したり、過剰に準備エネルギーを使いますね。色々気を回しすぎます。 人間、日頃から継続してやっていることなら「馴れ」で動けるんですけど、合間が開くと途端に身構えちゃうんですよね。 二の足を踏む。 たとえこれがもう十何年、数十年の経験を持っていても一緒。ちょっとならまだしもそれなりの期間を開けると「今まで」とは違う感覚になっちゃうんですよね。 もちろん動き出せば身体が覚えていて落ち着くことも多いでしょうけど。 ★ 多くの人が1

バズの夢

昨夜のうちに メモしておいた あのネタは どこへ行って しまったのでしょうか? それとも あれは夢? 絶対これは ウケるな! バズるな? そう手応えを 感じていた時点で 夢確定でしょうか?? 一夜の夢か幻か

熱量込めて、「愛」を語る!

noteは自分が好きなことやものを、大切に思っていること、感じていることを熱く語る場だ!と深津さんはおっしゃいます。 実際にビジネスについて語っている人もそこに込められた熱量が無ければ読まれることも、何かに繋がることもないでしょう。 ただ「書く」だけでは伝わりにくいかもしれません。 よくよく考えてみるとnoteって凄く雑多で、特定のジャンルに分かれてはいません。同じnoteクリエイターでも同一テーマで書き続ける人は多くはなく、やはりある程度の脱線、その人となりを示す何か

中途半端な尖り方

世に出るためには「尖って」いた方が良い、と。出る杭は打たれるけど、出過ぎた杭は打たれにくくなるよ、と。 こういった言い回しってありますよね? ただこういった言葉に踊らされないように注意しておくのは・・・例えば中途半端に「尖って」しまうとビニール袋には収納できないけど、硬いものは通せないようなものが出来てしまうかもしれない。 または研いでいる途中で「そういう状態」が続き、そこで我慢し続けられないかもしれない。 ★ 何かの言葉に置き換えたり、表現したりした瞬間「固定」さ

全ての「問題」は微妙な要素を含んでいる

このテーマは書きたくて、でも上手く書けないし話せなくて・・・非常に難しい「問題」です。いくら時間を積み重ねても「価値観」の違いもあれば立場の違いもあり、「正解」や「着地点」は見いだせない代物だと思います。 同じ様にそこに隠された様々な事情や背景を完全に紐解くのは難しく、だから「適切な」結論を得るのも非常に難しい。 歴史学を考えても科学的な「仮説と検証」を経て、合理的に「判定する」より更にあやふやな、現状の得られた情報内で「判定する」以外は出来ないし、それが歴史学の現状で。

ワクワクしている人は強い:ワクワクの素を探そう!創ろう!!

この時期は新入社員、新入生が話題になりますが、子供たちもそれぞれ進級を迎えます。 小さなころは誕生日が待ち遠しいように、進級も待ち遠しかったように思います。一つ学年が上がるとその分一つお兄さん、お姉さんになるような感じでワクワクするんですよね。 大人になると「頭で先に考える」。言語化していくので「挑戦する」だの「新規事業」だの「異動」だのという言葉先行になりがちで。 自分が一体どんな感情が湧き上がっているのか解らない人も居るのではないでしょうか? 例えばあなたの周りは

コマと人の行き方

よく人生を駒に例える言葉を聞きます。曰く「人の人生は駒と一緒で留まると倒れてしまう。動き続ける(回り続ける)からこそ自立出来るのだ」と。 聞いたことありませんか?何となく格言めいて、もっともな風に聞こえますね。 ただこういう言葉はあくまで自分を奮い立たせたり、共感できるときに利用すれば良いのであって、実際には言葉が先行する意味はありません。 だって、ずっと回り続ける(動き続ける)のは無理ですよね?倒れたらすぐさま糸を巻きなおして直ぐに再び回転させるのも何か変ですよね?

note「#日記」

実はハッシュタグ一覧を初めて見た。いつもトップに一瞬下部にある「ハッシュタグ」というのがあったのは知っていたが、様々なnoteが表示されると消えてしまう。 だから捕らえたことがなく、観れなかった。 今回「ダッシュボード」を閲覧しているとふと下部に目をやったら・・・あるやん!? ここでも「あった」んですね。灯台下暮らし。いや、ただ視野が狭いだけか(笑)真剣に見ると人のnoteを訪問した時にもあるし・・・きちっと探す気持ちって大事ですよね~ で、ようやく一覧を見ることが出

時には感傷的に

感傷的になること自体 あまり良いイメージを もたれない印象だけど 時には自分の 感傷的になっている部分を 水たまりのように 何かがそこに留まっているような 自分の感情を しっかり見てあげないと 心の整理をしてあげないと 気付かぬうちに 澱のような感じで 滞ってしまう 訳も解らず しんどくなってくる ちょっとでも書き出すなり 詩でもポエムでも読んで 何らかの表現や発露して 自分を解放してあげよう 自然に癒えるのを 待つのも良いけど 自己解消方法は 持っておいた方が