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神屋伝

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様々な神屋のエピソード、思い出などを書き綴ったのでまとめます。壮大な自己紹介にもなっていますので、少しでも興味を持って今後もお付き合い頂ければと思います。 詳しくはこちらから … もっと読む
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#ランナー

自己紹介:経歴来歴中心:更新(24/4/1)

2024年4月1日よりNPO法人加古川総合スポーツクラブの職員となります。2020年より理事、業務委託で関わってきましたが、より深く関わることとなりました。詳細は別途ご紹介予定です。 個人事業主:オフィス神屋は(フリーランス時代含む)10年目となりました(2024.1より)。2022年7月株式会社NOVA DEPORTAREを設立、代表取締役となり加古川優考塾(塾長)、ランチャットなどを運営しています。他にも様々な事業や趣味で活動しています。 詳しいお仕事内容は「お仕事依

ある陸上競技選手の足跡:1995-98:高校生時:合宿

こちらのnoteでも触れた内容についてもう少し詳細に渡って記したいと思います。高校時代の全ての強化合宿は多くの他校を交えて行われていました。そんなお話。 高校入学後、最初の合宿は春休み中に行われている合宿への参加でした。ただこれは新入生に足しても「お客さん」という意識が先輩方にもあってさほど厳しいものではなかったですが、驚いたのはその参加人数と学校。 関東から沖縄まで含めた全国高校駅伝でも名前を見る学校名がずらっと並んでいたこと。県下の有力校も複数名を連ねていました。

ある陸上競技選手の足跡:1992-95:中学生時:練習

当時の先生が凄く熱心だった。この下記に以前記した「日岡山」を書いているけど、練習場所は校庭だけでなく、あちこちに及んだ。競技会も大会も沢山連れて行ってくれたけど、練習でもちょっとでも「為」になると思ったらどんどん行動する先生だった。 〇神戸製鋼グラウンド何かと話題になってしまった神戸製鋼ですが、加古川の沿岸部にもその存在感はしっかりとあり、400mトラックがありました。今はもう休部?しているのですが、神戸製鋼陸上競技部があったんですよね。 そのグラウンドをお借りし、よくタ

ある陸上競技選手の足跡:2006-現在:セカンドキャリア:指導者、そして

ある「選手」としての足跡ですが、前回末尾に書いたように「セカンドキャリア」も重要な問題なので今回さらっと記します。 セカンドキャリアについてはこちらもご覧ください。 指導者に招聘された先は武蔵野学院大学。創部から携わって欲しいというお話があり、部員0からのスタートでした。最初は監督というより事務員として働きつつ、下準備をしていく感じです。 今、もしこのようなnoteやSNSマーケティングなどがあればそのストーリーをリアルタイムで書いていたかもしれません(笑) 2006

ある陸上競技選手の足跡:2002-2006:社会人:引退まで

とうとう現役生活の終盤に差し掛かりました。社会人になってから苦しみました。マラソンを走りたかったのですが、チームの駅伝もあるし、生来の負けず嫌いもあって目的や目標が定まらなかったんですよね。 箱根駅伝で燃え尽きたわけでもなく、何も引っ張ってなかったけど、全然目立たないのは面白くないし、どうにか「早く」日本のトップクラスに躍り出て勝負したい!! と焦っていました。 せっかく出場権があった日本選手権も欠場。何度か今までにない故障を抱え四苦八苦していました。未だにあの状態は謎

ある陸上競技選手の足跡:1998-2002:大学生時:総評

高校の細かい方よりも先に大学を!というご意見を幾つか頂いたので優先して書きます。ただ結構濃いのでそれぞれのエピソード面は後にして先ずは情報整理をメインに行います。 今回は全て簡単に先ず記します。 (ヘッダ写真36番が私です) ★進学★兵庫から東京へ。大学選択は色々ありましたが、お声をかけて頂いたところではない駒澤大学に入学しました。理由はマラソン出場を考えていたのと、社会の教員免許を取りたかった&歴史学科に行きたかったから。(結局取得成らず) 当時、駒澤は強くなっていく