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神屋伝

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様々な神屋のエピソード、思い出などを書き綴ったのでまとめます。壮大な自己紹介にもなっていますので、少しでも興味を持って今後もお付き合い頂ければと思います。 詳しくはこちらから … もっと読む
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#指導者

実は・・・の内緒話:選手篇:神屋伝

お久しぶりの更新となりました。内緒と言ってもこれを読まれる方にとってはそんなに重大な内緒ではありませんよ。だからあさらっと読み流して頂いても結構です。 ですが、神屋にとっては結構大きな「事実」です。何せ自分にとっての競技、ランニングにおける根幹に関わることなので・・・ 個人的なことなのですが、どこからかあれこれ言われるのもイヤなので(笑)本当に読んでみたいと思って頂いた方にのみ読んで頂ければいいやと思っています。若きアスリートには興味があることかもしれませんね。 悩みを

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ある陸上競技選手の足跡:2006以降:引退後:他選手の活躍に想うこと

引退して12年が経ち、同期でも続けている選手は男女問わず凄く少なくなってきました。それはあくまで「実業団」という枠であり、フィールドを移して未だアスリートとして活躍されている人も居ます。段々共に走ってきた下の学年も減っていきますね。 ほとんどの方はセカンドキャリアとして会社に残ったり、起業したりしています。指導者になったり、スポーツに従事する人も多いとは言え、100人も居ないと思います。先生を合わせても居ないかな?(セカンドキャリア問題を考えた時にはそういった「進路調査」も

ある陸上競技選手の足跡:1992-2006:競技生活:想うこと

競技生活を終え、指導者になった時に一番悩んだのが「志向」に指導を合わせること。今も悩むことはもちろんあるけれど、大分自分の中では選り分けてきた感じはする。 主題とどう繋がるかはもう少し読み進めて頂ければ幸いです。 ★ その志向ですが、一つは上昇志向。競技志向。とにかく上へ行きたい、強くなりたい。この動機に強固に支えられ脇目を振らずに強くなろうとする選手。 これは指導するのも楽です。自分の「志向してきた経験」も活かせるし、そのまま技術や身体作りを指導し、提案していけば良

小さい頃になりたかったもの

「小さい頃」と言っても、今の自分から見たら大体小学校~中学校くらいまでをそう呼びます。 さて、みなさんは夢やなりたかった「職業」はありましたか? 今、叶えていますか? 私のリストは以下の通り。 とにかく、成りたいなーと思っていたことを箇条書きで出してみます。 ・プロ棋士:囲碁 ・マラソンランナー ・先生 ・本屋さん ・作家 おや、書き出してみるとこんなもんですね。 一つ一つ検証してみましょう! プロ棋士:囲碁 中学校卒業までに奨励会を目指す以外には原則、道はありませ

ある陸上競技選手の足跡:1995-98:高校生時:先生のミーティング

西脇工業では当時名将と言われた渡辺公二先生が指導をされていました。自分たちが高校3年時に全国制覇だけでなく、高校最高記録がどうしても欲しかったのは渡辺先生が定年を迎える年だったから。 その渡辺先生のミーティングはどんなものだったか? ★ 大まかに分けると日々の練習前後のミーティング。試合前後のミーティングの2つがありました。 練習前後は恐らくコンディションチェックのようなもので、選手の状態をうかがいながら簡単な指示を出しておられたと思います。 基本的には渡辺先生は練

ある陸上競技選手の足跡:2006-現在:セカンドキャリア:指導者、そして

ある「選手」としての足跡ですが、前回末尾に書いたように「セカンドキャリア」も重要な問題なので今回さらっと記します。 セカンドキャリアについてはこちらもご覧ください。 指導者に招聘された先は武蔵野学院大学。創部から携わって欲しいというお話があり、部員0からのスタートでした。最初は監督というより事務員として働きつつ、下準備をしていく感じです。 今、もしこのようなnoteやSNSマーケティングなどがあればそのストーリーをリアルタイムで書いていたかもしれません(笑) 2006

ある陸上競技選手の足跡:2002-2006:社会人:引退まで

とうとう現役生活の終盤に差し掛かりました。社会人になってから苦しみました。マラソンを走りたかったのですが、チームの駅伝もあるし、生来の負けず嫌いもあって目的や目標が定まらなかったんですよね。 箱根駅伝で燃え尽きたわけでもなく、何も引っ張ってなかったけど、全然目立たないのは面白くないし、どうにか「早く」日本のトップクラスに躍り出て勝負したい!! と焦っていました。 せっかく出場権があった日本選手権も欠場。何度か今までにない故障を抱え四苦八苦していました。未だにあの状態は謎