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神屋伝

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様々な神屋のエピソード、思い出などを書き綴ったのでまとめます。壮大な自己紹介にもなっていますので、少しでも興味を持って今後もお付き合い頂ければと思います。 詳しくはこちらから … もっと読む
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2018年6月の記事一覧

ある陸上競技選手の足跡:1992-2006:現役時代:自分の特性に想うこと

自分の現役時代を知っている選手はどういう特性、特徴を挙げて下さるでしょうか?「駅伝選手」としての印象が強ければ基本的には「安定感」を挙げてくれる人は多いです。他には「粘り強さ」などですね。 個人レースでは幾つかの優勝などもありますし、「攻め」のレースも幾つかあるのですが、そういった印象は少なく、「王道」タイプに見えてたでしょうか?? ★ 自分の主な特徴は「安定感」「堅実性」という見方が多数と仮定すると、ある程度目立っていたのはチームの力を借りての部分だったんですよね。今

ある陸上競技選手の足跡:2006以降:引退後:他選手の活躍に想うこと

引退して12年が経ち、同期でも続けている選手は男女問わず凄く少なくなってきました。それはあくまで「実業団」という枠であり、フィールドを移して未だアスリートとして活躍されている人も居ます。段々共に走ってきた下の学年も減っていきますね。 ほとんどの方はセカンドキャリアとして会社に残ったり、起業したりしています。指導者になったり、スポーツに従事する人も多いとは言え、100人も居ないと思います。先生を合わせても居ないかな?(セカンドキャリア問題を考えた時にはそういった「進路調査」も

ある陸上競技選手の足跡:1992-2006:競技生活:想うこと

競技生活を終え、指導者になった時に一番悩んだのが「志向」に指導を合わせること。今も悩むことはもちろんあるけれど、大分自分の中では選り分けてきた感じはする。 主題とどう繋がるかはもう少し読み進めて頂ければ幸いです。 ★ その志向ですが、一つは上昇志向。競技志向。とにかく上へ行きたい、強くなりたい。この動機に強固に支えられ脇目を振らずに強くなろうとする選手。 これは指導するのも楽です。自分の「志向してきた経験」も活かせるし、そのまま技術や身体作りを指導し、提案していけば良

ある陸上競技選手の足跡:1998:高校生時:卒業間近:レース出場

今回はテーマをこの1点に絞ってお話します。前回の全国校駅伝終了後、部活動は引退。ですが、大学で競技続行を決めていたので、ある想いと共に練習とレース計画を立てました。 それは・・・ 高校時代は1年生の時に出遅れたんですね。それがずっと響いて思うように行かなかった。実績不足で悔しい思いも沢山した。ならば大学では鮮烈デビューをかざろう! そう思っていました。 それまで西脇工業の卒業生は大学で苦労すると言われていて。以前にも書いたように練習量が少ないので、大学で対応できないの

ある陸上競技選手の足跡:1998-2002:大学生時:寮:PC&ネット編

入寮時に持ち込んだものはあまり多くは無く、練習用具を中心にあとは生活用具でした。部屋は狭いし、あまり多くのものを持ち込むと圧迫しちゃうんですよね。 本なども図書館で借りたりしないと置き場に困るので、大抵は実家に置きっぱなしでやってきました。東京! ★ その中でも当時はまだまだ一般的でなかったノートパソコンを持ってきました。でかいし、重いし、容量ないし、しかも高額。本当、有難い。 ちなみに当時はwidows98はまだ出ておらずOSは95だったように記憶しています。そんな

ある陸上競技選手の足跡:1995-1998:高校生時:通いと寮

自分は高校時代通いでした。加古川ー西脇市までJR加古川線で往復する毎日。これがなかなか味のあるもので入学直後からしばらくは毎日がしんどかったし、時折強くしんどい気持ちになったものです。 片道大体1時間30分を超えるくらい。 大抵の高校生の通学時間が解らないので比較できませんが、少なくとも地元の進学校を選んでおけばこんな遠くに通わなくても済んだのにという不毛な気持ちによくなりました(笑) ★ ちなみに寮生といいますか、下宿組も居ました。片道2時間を超えるような生徒などで

ある陸上競技選手の足跡:1998-2002:大学生時:寮

今回はサクっと行きます。一つ一つのエピソードを書き出すとキリがないので(期待してくださいw)徐々に書きます。 今朝このような投稿をして、そうだ「寮」って大学時代の大きなネタの一つだな、と思い出しました。大学の監督をしている時は「寮」というのは色々課題が多く、運営上どうしても欠かせないものとなります。 もし「寮」が無くても、「無い中でどうするか?」という「ある」ことと対比しながら考える必要があるんですよね。 それくらい「寮」って駅伝チームには欠かせないものになります。

ある陸上競技選手の足跡:1995-98:高校生時:高2~高3の駅伝

2年生時に報徳に県大会で敗れ、全国高校駅伝は「観るだけ」になりました。その悔しさを持って近畿大会に臨みましたがここの辺は微妙でしたね。 記念大会であれば近畿トップで全国に地区代表で行けます。その数年前に一度県で敗れ、近畿で勝ち、全国も制覇ということがあった西脇工業。 ただ高2時は平時の為、実に何年ぶりかくらいに「全国」が消失し、近畿の意義も薄れていたという訳です。かといっていつもなら新チームに移行するのは都大路終わってからの冬休みなので「微妙」という訳です。 正直あんま

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ある陸上競技選手の足跡:沢山の方々が書き残してくれたもの

本当にありがたいことに競技人生において注目頂き、陸上競技専門誌にも掲載頂いたり、取材などを通じ、また現役後半はブログの登場もあり、書いてくださる方々が登場しました。 あの時代にそうやって書いていただけたことは本当に有難いことです。こうして書いてくださる方々が居て自分を知り、応援してくださった方も多く居られることでしょう。本当に感謝しています。 ネットに残っているものだけでも取り上げさせて頂きます。もし他に見掛けたよ!自分書いてるよ!という方が居られたらご連絡頂けたら嬉しい

ある陸上競技選手の足跡:1995-98:高校生時:合宿

こちらのnoteでも触れた内容についてもう少し詳細に渡って記したいと思います。高校時代の全ての強化合宿は多くの他校を交えて行われていました。そんなお話。 高校入学後、最初の合宿は春休み中に行われている合宿への参加でした。ただこれは新入生に足しても「お客さん」という意識が先輩方にもあってさほど厳しいものではなかったですが、驚いたのはその参加人数と学校。 関東から沖縄まで含めた全国高校駅伝でも名前を見る学校名がずらっと並んでいたこと。県下の有力校も複数名を連ねていました。

ある陸上競技選手の足跡:1995-98:高校生時:先生のミーティング

西脇工業では当時名将と言われた渡辺公二先生が指導をされていました。自分たちが高校3年時に全国制覇だけでなく、高校最高記録がどうしても欲しかったのは渡辺先生が定年を迎える年だったから。 その渡辺先生のミーティングはどんなものだったか? ★ 大まかに分けると日々の練習前後のミーティング。試合前後のミーティングの2つがありました。 練習前後は恐らくコンディションチェックのようなもので、選手の状態をうかがいながら簡単な指示を出しておられたと思います。 基本的には渡辺先生は練