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神屋伝

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様々な神屋のエピソード、思い出などを書き綴ったのでまとめます。壮大な自己紹介にもなっていますので、少しでも興味を持って今後もお付き合い頂ければと思います。 詳しくはこちらから … もっと読む
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2018年5月の記事一覧

ある陸上競技選手の足跡:1995-98:高校生時:メンバー選考

「西脇工業」が有名である話の一つに「オーダー」を選手たちで決めるというのがあります。これがそんなに強くないチーム、指導者が居ないならば「普通」かもしれませんが、なんせ日本一を何度も取るようなチーム。 一体どういう感じでやっているのか!?そう思われる方も多く居られたと思います。 これは過去に「選考風景」に取材が入り、公開されたことでご存知の方もおられると思います。あの時は全国高校駅伝前かな? ★ 当時はとにかく戦力が分厚く、自己記録だけで見ても数秒の中に何人もひしめいて

ある陸上競技選手の足跡:1995-98:高校生時:スピード練習の思い出

当時、日本トップクラスのチームだった西脇工業高校。一部の選手が強い訳ではなく、入部してくる選手の実績たるや・・・ 全中経験者は多数。それどころか全中優勝・入賞者。駅伝全国制覇など、有数の選手たちが集まっていました。 そんな選手たちはお互いが中学校からのライバルであり、途方もない負けず嫌い。練習、特にスピード練習になると全力疾走。1本1本に勝負が掛かります。 もうその辺のレースを走るより強烈でした当然、故障も増えるのですが、ちょっとでも出遅れるとレギュラーが遠のく為、治す

ある陸上競技選手の足跡:1992-95:中学生時:練習

当時の先生が凄く熱心だった。この下記に以前記した「日岡山」を書いているけど、練習場所は校庭だけでなく、あちこちに及んだ。競技会も大会も沢山連れて行ってくれたけど、練習でもちょっとでも「為」になると思ったらどんどん行動する先生だった。 〇神戸製鋼グラウンド何かと話題になってしまった神戸製鋼ですが、加古川の沿岸部にもその存在感はしっかりとあり、400mトラックがありました。今はもう休部?しているのですが、神戸製鋼陸上競技部があったんですよね。 そのグラウンドをお借りし、よくタ

ある陸上競技選手の足跡:2006-現在:セカンドキャリア:指導者、そして

ある「選手」としての足跡ですが、前回末尾に書いたように「セカンドキャリア」も重要な問題なので今回さらっと記します。 セカンドキャリアについてはこちらもご覧ください。 指導者に招聘された先は武蔵野学院大学。創部から携わって欲しいというお話があり、部員0からのスタートでした。最初は監督というより事務員として働きつつ、下準備をしていく感じです。 今、もしこのようなnoteやSNSマーケティングなどがあればそのストーリーをリアルタイムで書いていたかもしれません(笑) 2006

ある陸上競技選手の足跡:1992-95:中学生時:地元、兵庫県:競技場編

表題で誰のことか一発で解る人はなかなかマニアック(笑)そうです。私、神屋の中学生時代をちょっと振り返ってみようと思います。 とりあえず色々思い出はありますが、中学陸上をさらっと触れてみます。 ★ 私が陸上競技を始めたのは中学校1年生から。始めた動機や何やらを書くと長くなるので、それは別の機会に。 デビュー戦は・・・覚えていないんですよね。 とりあえず時系列で行くより今回は思い出の地をちょっと紹介したいと思います。 ★ ざっくり言うと、兵庫県は陸上競技が盛んで、自

ある陸上競技選手の足跡:1998-2002:大学生時:ハーフマラソン等

前回の大学生時代の総評編を書き上げて思い浮かんだのが、そういえばハーフマラソンの戦績なかなか良いのでは!?ということ(笑)いや、本当に今更なんですけどね。 初ハーフから時系列に並べると1998(1年):府中ハーフ11月 1:04:24?:当時のジュニア歴代上位        仙台国際ハーフ3月 1:03:56:優勝 1999(2年):札幌国際ハーフ 7月 1:04:51?日本人上位、学生トップ        府中ハーフ11月 1:03:37?:優勝 2000(3年)

ある陸上競技選手の足跡:1992-95:中学生時:飛翔編

前回は地元、加古川を軸に「陸上競技人生」を歩み始めたころの県内沿岸部の競技場のお話をしました。 この2つで陸上競技を始めた頃の神屋少年を思い浮かべてくれたでしょうか?笑 ★★ 今度は「飛翔編」。段々スケールが大きくなっていきます。自分が、ではなく競技環境が変わっていくんですよね。 先ずは最初市内の大会がスタートでしたが、段々県の多くの場所に競技会、大会を求め移動するようになります。どうしてもいつも同じ相手や競技場だと力を伸ばせないんですよね。 いつもとスケールが違う

ある陸上競技選手の足跡:1992-95:中学生時:囲碁編

突然ここに何故囲碁?と思った人も居るでしょう。囲碁が得意(アマ六段で日頃打ってる:日本棋院免状四段(中2))というのは何度かnoteにも書いてきましたが。 陸上競技を語る上で特に一番影響があったのは昨今良く話題にもなる「文武両道」。自分としてはあまりこの言葉は好きではないですが、一般的に共有し易いこの概念で話をします。 基本的にこの言葉は勉強とスポーツを両立させるという考え方でしょう。 それで言うなら中学時代は充分達成していました。偏差値も5教科では65程度は常時ありま

ある陸上競技選手の足跡:2002-2006:社会人:引退まで

とうとう現役生活の終盤に差し掛かりました。社会人になってから苦しみました。マラソンを走りたかったのですが、チームの駅伝もあるし、生来の負けず嫌いもあって目的や目標が定まらなかったんですよね。 箱根駅伝で燃え尽きたわけでもなく、何も引っ張ってなかったけど、全然目立たないのは面白くないし、どうにか「早く」日本のトップクラスに躍り出て勝負したい!! と焦っていました。 せっかく出場権があった日本選手権も欠場。何度か今までにない故障を抱え四苦八苦していました。未だにあの状態は謎

ある陸上競技選手の足跡:1995-98:高校生時:総評

えー加減高校生にはよ行ってくれ!という声がどこからか聞こえてきたような気がするのでとりあえず行きます。(中学生編に未練がある方は期待してお待ちください) さて、前回は「飛翔」しました。そしてまあ色々とありながら高校へ進学しました。とそこまでは良いですよね?えぇ、もうその進路決定のことだけでもnoteを5つは書けますね!だから今はすっ飛ばすんです。 興味がある方はそっちも書けとコメントもしくはメールください。検討します。 ★ 入学した先は当時日本一強かった兵庫県立西脇工

ある陸上競技選手の足跡:1998-2002:大学生時:総評

高校の細かい方よりも先に大学を!というご意見を幾つか頂いたので優先して書きます。ただ結構濃いのでそれぞれのエピソード面は後にして先ずは情報整理をメインに行います。 今回は全て簡単に先ず記します。 (ヘッダ写真36番が私です) ★進学★兵庫から東京へ。大学選択は色々ありましたが、お声をかけて頂いたところではない駒澤大学に入学しました。理由はマラソン出場を考えていたのと、社会の教員免許を取りたかった&歴史学科に行きたかったから。(結局取得成らず) 当時、駒澤は強くなっていく