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様々なアイディア、考察、ネタの種(旧その他)note

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私のnoteまとめ 思索/思考/心理/キャリアなど 分類できないもの/有料マガジン以外のもの 全てを収録します! 雑多なだけに宝庫かもしれませんよ!?
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#トレーニング

フォーマット、様式の中身を徹底して理解することについて

フォーマットや様式は、文書やデザイン、プロジェクトなどさまざまな領域で我々の作業を効率化し、一貫性を確保する役割を果たしています。しかしこれらの形式が単なる外形だけでなく、中身を徹底的に理解することは、より深いレベルでの理解と効果的な活用を可能にします。 このnoteでは、フォーマットや様式の中身を徹底的に理解する重要性について考察してみます。 まず、フォーマットの中身を理解することは、効果的なコミュニケーションの鍵です。例えば、ビジネス文書や報告書のフォーマットには、特

フォーマットを作っておくことのメリット

ビジネスや日常の様々な場面で、効率的かつ整然とした作業を行うためには、フォーマットを作成することが一つの有益な手段となります。創作においては「フォーマット」を使うことはどうも抵抗感を持つかもしれませんが、いろんな方々のnoteを拝見していると、同じクリエイターの方はいつも同じ文体、ある程度のフォーマットが揃っている方が安心感があり、読みやすく感じたりします。 好み次第ですが、フォーマットを作成し、有効に活用していくことは大きな意味や価値があり、スムーズに創作や書くことを効率

脳疲労と全身疲労:原因は何か?

脳疲労だけではないですが、脚にも全身にも疲労が来ているような実感をします。 走っていると、いわゆるハンガーノックとかそういったいろんな言葉で表現しますが、とにかくエネルギー不足を感じるような状態に陥ることがあります。 特に初心者の頃は、 練習ができていないから当たり前だよねという感覚かもしれませんが、ベテランランナーになって、マラソンも完走できるぐらいの力がついても、そういった事象が起きることが不思議だったりします。 オーバーペースというはっきりとした原因があるならば対

「大したことない」と思える胆力を養う

妙に緊張しちゃったり、プレッシャーやストレスがかかる場面ってありますよね?少しでも「大したことない」と思えれば楽になるだろうし、乗り越えられそうな気がします。ただ、そうは簡単に行かないのも実際のところ。 スポーツコーチもそういったところをどうにかするためにいろいろと考え、工夫しています。「アレ」もその1つですし、その個人、クライアントにマッチする言葉を、意識やマインドの持ちようや持って行き方を一緒に考え、提案し、サポートしたりします。 さて、そういった工夫を今回はBard

思いつきに対して、どれくらいのリソースが必要かを考える

日常生活や仕事の中でさまざまなアイディアや思いつきを抱えることがあります。思いつくこと自体は問題があることではないし、むしろ歓迎することのほうが多いとは思います。 ただ、その処理や始末を間違えると迷いにつながったり、一貫性のない行動になったり、実現できずに焦燥感に陥ることも一切ではなくあると思います。少なくとも、思い浮かんだことを実現レベルに持っていこうと思えば具体的な行動に移すタスクや工夫、適切なリソースが必要です。 思いつきは創造性やイノベーションの源泉として重要です

経年を比較することで見えてくること

時間が経過すると、物事は変化し成長します。または、残念ながら劣化したり、消失することもあります。積極的に取りやめることもあるでしょう。自身がそういった判断を下す、考察する際に重要なのは現在の状況把握と過去からの経緯などの要素だと思います。 比較することは時にネガティブな印象を与えることもありますが、むしろポジティブに活かすこともできます。要は活用の仕方次第だったりしますよね。変化を捉え、過去と現在を比較することは、多くの学びと理解、今後の指針や判断材料になります。 以前に

「量」はさらなる「量」を呼び込んだりするから

量の重要性は、私たちの日常生活や仕事において常に存在しています。しかし、量が単なる数値や量ることだけでなく、さらなる発展や成長への扉を開く要素であると捉えることが重要です。 ランニングにおいても、勉強であっても、発信や創作などでも同じで、量が全てではもちろんありませんが、重要な要素、目標や指標になることは間違いありませんし、たとえば仕事として納品する際にはやはり量が指定されることも多いでしょう。時間契約などもそうですよね。 ちなみに「量」と聞くと「最大量」をイメージするか

1つクリアすれば、また1つ出てくる課題だけど

課題ってそこをクリアすれば万事OKとなるものではなく、目標達成したら、次から次へ新たな目標が出てくることと同じで。向上心が強い、貪欲な人ほど目標達成意欲も高いでしょうし、行動の質量も高くなると思いますが、一方で貪欲が故に、どこまでも満足できずにどんどん新たな目標や課題が出てくるものだと思います。 良いことでもあるし、そこまで行く覚悟がないとどこかで折り合いをつける必要が出てきます。一方で、そもそも向上心がなく、欲もない場合は当人の行き方なので他人がとやかく言うことでもないで

やれるときにやっていない罪悪感みたいなもの

人生にはさまざまな要因や制約が絡み合い、中にはやるべきことをやれる状況にあるにもかかわらず、それをなおざりにしてしまった際に感じる特有の罪悪感があります。これは「やれるときにやっていない罪悪感みたいなもの」とも形容される感覚で、心の奥底に漂う微妙な後ろめたさや焦りがついてまわります。 みなさんはそういった経験はありますか? この罪悪感は、やるべきことが自分の手の届く範囲にあったにもかかわらず、その機会を逃してしまったときに生まれがちです。何かを先延ばしにしてしまったり、行

1歩1歩の積み重ねを侮るなかれ

「おぉ、危ない」と思うことはちょくちょくあり、その度に、ほんの1歩の積み重ねは侮れないと思う次第です。正直、タスクを毎日こつこつチェックしたり、更新するのも効果がどれほどあるか、遠回りではないかという記事などを読んで気になったりはしますが。 それでも、きちっと管理し、1つ1つを確実に始末したり、進めていくこと、情報を整理し、わかりやすくする、進める為のエネルギー源泉とするなどで大いに役立っていると思います。 以前はうっかりミスがあって、noteでも連続記録が途絶えたりもし

少しでも着手しておくことで

過去にも似たようなnoteを書いていますが、重要なことですし、何度でも思い浮かびますし、いつでも心がけておきたい内容です。 どんどんタスク、仕事や予定が積み重なり、やるべきことが膨大になっていくとしたら、頭を抱えて手が出なくなりそうですが、むしろ手を出し、少しでも着手しておくことで「続き」がしやすくなりますし、一歩ずつでも進んでいく可能性が高まります。 人間、まったく触れたことがないものに情を持つのは難しく、記憶にも残りにくくなってしまいます。逆に、少しでも触れたことのあ

「断片」から「集合体」に持っていきたい

人生は断片的な瞬間の連続であり、私たちはさまざまな経験や感情を断片として受け取ります。神屋もnoteでは好んで「この瞬間」とか「今」と鉤括弧づけで書いていたりします。「今」を積み重ねていくと少しずつ大きな単位になっていく。ランニングなどでも一歩一歩を重ねていくのと似ていますね。一歩一歩を重ねていくと「距離」になるし、たとえば目標とするゴールにたどり着けるし、自分でゴール設定や目標設定の基礎単位にもなります。 これらの断片、「瞬間」や「一歩」を単なる切り取られた瞬間ではなく、

小さな積み重ねの差を考える

ちょっとした積み上げの差は、徐々に大きくなっていくものです。そういった経験を多くの方がされているのではないでしょうか。 そういった積み重ねの差が、必ずしもすべての能力を表すわけではありませんし、成果に結びつくかどうかは分かりません。もちろん、クオリティや効率など、そういった要素を掛け算した結果が、成果や目標を達成に近づける大事な要素ともなります。 一方で、数値化したり、見やすくしたりしていくには、積み上げた部分を見ていくのは大きな要素になりますし、モチベーションに繋がると

哲学って面白いよ

哲学と言うと、なんだかちょっと高尚なイメージがあったり、お堅いイメージを持つことはあるかなと思います。大学などの哲学の授業でも、哲学史や、系統を学ぶことが多く、哲学そのものに触れるとか、哲学を活用するといった日常や仕事に落とし込むような哲学の学び方、触れ方というのはあまりしてきていないように思います。 皆さんはどうでしょうか? 哲学というものに対するイメージはどんな感じですか?今までどう学んだり、触れたりしていますか? 書店に行くと、哲学という言葉がよく並んでいて、哲学